日本歴史地名大系 「相浦・深浦」の解説 相浦・深浦あいうら・ふかうら 富山県:氷見市相浦・深浦郷村名義抄(越中志徴)によれば、相浦は現在の十二町(じゆうにちよう)・西朴木(にしほおのき)・万尾(もお)・中谷内(なかやち)の辺り、深浦は上久津呂(かみくづろ)・下久津呂・粟原(あわら)・布施(ふせ)・深原(ふかはら)のあたりに比定される。永暦元年(一一六〇)三月日の前太政大臣家政所下文写(陽明文庫蔵兵範記紙背文書)によれば、相浦村は阿努(あぬ)庄内である。阿努庄は康平四年(一〇六一)末に越中権守となった源家賢の私領となり、一子相伝後、家賢の養子二人に分割伝領され、相浦村は前大皇太后、つまり白河院の皇后賢子の女房若狭に譲られた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by