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近衛政家 このえ まさいえ

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美術人名辞典の解説

近衛政家

室町時代の公卿。近衛房嗣の次男。本姓は藤原、一字名は霞。権大納言内大臣を経て太政大臣となる。和歌を能くし、『新菟玖波集』に入集。日記『後法興政家記』は室町期の貴重な資料として知られる。永正2年(1505)歿、60才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

近衛政家 このえ-まさいえ

1444-1505 室町-戦国時代の公卿(くぎょう)。
文安元年8月1日生まれ。近衛房嗣(ふさつぐ)の次男。右大臣をへて,文明11年(1479)関白,氏長者となる。同年左大臣に転じ,長享2年(1488)太政大臣。従一位。古典を筆写し,その保存につとめた。日記「後法興院政家記」がある。永正(えいしょう)2年6月19日死去。62歳。号は後法興院。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

近衛政家

没年:永正2.6.19(1505.7.20)
生年:文安1.8.1(1444.9.12)
戦国時代初期の公家。近衛房嗣の4男。寛正3(1462)年に兄教基が死んだため家督を継ぐ。文明11(1479)年関白・氏長者,長享2(1488)年太政大臣に転じ,明応6(1497)年准三后。号は後法興院。日記『後法興院記』(1466~1505,途中一部を欠く)には,応仁の乱突入前夜の様子や明応2年の細川政元の政変など社会情勢が活写され,当時を知るうえでの貴重な記録となっている。また自家の家計簿ともいえる『雑事要録』(1478~1505,途中一部を欠く)には,当時の近衛家の荘園経営,家産経済,諸家との交際などについての記述がみられ,公家の日常生活の様子を伝えており,その内容から政家の几帳面な性格もうかがい知ることができる。生涯を通じ蹴鞠,和歌,連歌を好み,武士をも交えて鞠に興じ,和歌,連歌は三条西実隆ほどは高く評価されていないものの『新撰G7EDF玖波集』に26句入集がある。<参考文献>中世公家日記研究会編『戦国期公家社会の諸様相』

(湯川敏治)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の近衛政家の言及

【後法興院記】より

…中世後期の公家近衛政家の日記。1466年(文正1)から1505年(永正2)にわたる自筆本30巻が陽明文庫に所蔵されているが,1469年(文明1)以後10年間は欠失。…

※「近衛政家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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