朝日日本歴史人物事典 「近衛政家」の解説
近衛政家
生年:文安1.8.1(1444.9.12)
戦国時代初期の公家。近衛房嗣の4男。寛正3(1462)年に兄教基が死んだため家督を継ぐ。文明11(1479)年関白・氏長者,長享2(1488)年太政大臣に転じ,明応6(1497)年准三后。号は後法興院。日記『後法興院記』(1466~1505,途中一部を欠く)には,応仁の乱突入前夜の様子や明応2年の細川政元の政変など社会情勢が活写され,当時を知るうえでの貴重な記録となっている。また自家の家計簿ともいえる『雑事要録』(1478~1505,途中一部を欠く)には,当時の近衛家の荘園経営,家産経済,諸家との交際などについての記述がみられ,公家の日常生活の様子を伝えており,その内容から政家の几帳面な性格もうかがい知ることができる。生涯を通じ蹴鞠,和歌,連歌を好み,武士をも交えて鞠に興じ,和歌,連歌は三条西実隆ほどは高く評価されていないものの『新撰G7EDF玖波集』に26句入集がある。<参考文献>中世公家日記研究会編『戦国期公家社会の諸様相』
(湯川敏治)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報