日本歴史地名大系 「深浦」の解説
深浦
ふかうら
深浦
ふかうら
慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の宇和郡の項に「深浦 岩山之茅山有」と村名がみえる。吉田藩領に属した。
太閤検地の石高は五一石七斗五升五合であるが、正保検地では石高が三倍強に増加している。この間に縄延が三寸短縮されたことを考え合せても急激な増加である。
「郡鑑」によると承応元年(一六五二)の戸数三六戸、人口一三九人、水主一九人。寛文六年(一六六六)の調査では当浦の本網(伊達氏入封以前からあったもの)二帖、結出網(藩から新しく認められたもの)一帖があり、それぞれ庄屋・村君に所有されており、特定の漁場をもっていた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報