真弓丘陵(読み)まゆみのおかりよう

日本歴史地名大系 「真弓丘陵」の解説

真弓丘陵
まゆみのおかりよう

[現在地名]高取町大字森

佐田さだ集落南にあり、地籍はもりに属する。草壁皇子の墓とされる。草壁皇子は「日本書紀」によれば持統天皇三年四月一三日に没し、「続日本紀」文武天皇即位前紀によれば天平宝字二年(七五八)八月に岡宮御宇天皇と追号された。

真弓丘陵は「続日本紀」天平勝宝七年(七五五)一〇月二一日条の聖武天皇病気平癒祈願の記事に「遣使於山科、大内東西、安古、真弓、奈保山東西等山陵」、同書天平神護元年(七六五)一〇月一五日条に「過檀山陵 詔陪従百官、悉令下馬、儀衛巻其旗幟、是日、到宇智郡」、「延喜式」(諸陵寮)に「真弓丘陵 岡宮御宇天皇、在大和国高市郡、兆域東西二町、南北二町、守戸六烟」とみえている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む