精選版 日本国語大辞典 「草壁皇子」の意味・読み・例文・類語
くさかべ‐の‐おうじ ‥ワウジ【草壁皇子】
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
662~689.4.13
日並知皇子(ひなみしのみこ)尊とも。天武天皇の第1皇子。母は皇后鸕野讃良(うののさらら)皇女(持統天皇)。誕生順では高市(たけち)皇子についで2番目。681年(天武10)立太子し,4年後に諸皇子中最高の浄広壱位を授けられた。阿閇(あべ)皇女(元明天皇)との間に,文武天皇・元正天皇・吉備(きび)内親王をもうけた。689年(持統3)皇太子のまま没したが,758年(天平宝字2)岡宮御宇(おかのみやにあめのしたしろしめしし)天皇と追尊された。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…大津は4歳のとき母大田皇女を失うが,近江京における幼少時を天智天皇に愛されて過ごし,壬申の乱(672)では近江を脱して父天武の軍に加わった。乱後の天武朝に成人し皇子としての序列は常に皇太子草壁皇子につぐ地位にあり,683年はじめて国政に参画,685年浄大弐位を授けられている。《懐風藻》の伝によれば,たくましい風貌,体軀をそなえたうえに気宇大きく,幼年にして学を好み,博覧よく文をつづり,壮年に及んで武を愛し撃剣に長じていたという。…
…国内では父の中大兄皇子(のち天智天皇)を中心に律令体制の成立が急がれていたが,国外では強大な唐の勢力の圧迫により,朝鮮半島の情勢が緊迫していた。斉明天皇は661年,唐と新羅に攻められた百済を救うために九州に出征,持統も夫大海人とともに軍に従い,662年(天智1)九州の那津で草壁(くさかべ)皇子を出生。百済救援軍は翌年白村江で大敗する。…
…副葬品は遺存せず,若干の歯牙と,金銅製円形棺金具1点,漆塗木棺のものとみられる多数の漆膜片,および鉄釘50本以上が出土した。年代は7世紀終りに近いころとされ,689年(持統3)に没した草壁(くさかべ)親王(草壁皇子)の墓とする説も唱えられている。【岸 俊男】。…
※「草壁皇子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
1 日が照っているのに、急に雨がぱらつくこと。日照り雨。2 夜、山野で狐火が連なって、嫁入り行列の提灯ちょうちんのように見えるもの。[類語](1)狐日和びより・天気雨・雨天・荒天・悪天・雨空・梅雨空・...
9/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新