真沼庄
まぬまのしよう
頸城郡にあった東大寺領庄園。天暦四年(九五〇)一一月二〇日の東大寺封戸庄園并寺用雑物目録(東南院文書)に、頸城郡吉田庄などとともに「真沼田庄田廿六町百六十歩」とあるのが史料上の初出。しかし仁平三年(一一五三)四月二九日の東大寺諸庄園文書目録(守屋孝蔵氏所蔵文書)に「一巻 十三枚 加坪付一巻 延暦八年複真沼庄国郡田図」などと文書の伝来が記されているので、延暦八年(七八九)には成立していたことがわかる。長徳四年(九九八)の東大寺領諸国庄家田地目録案(東南院文書)に「真沼庄田廿六町八段八十一歩」があげられているが、吉田庄とともに「已上、並荒廃」と注記されているから、一〇世紀末には荒廃していたものと思われる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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