矢代宿(読み)やしろじゆく

日本歴史地名大系 「矢代宿」の解説

矢代宿
やしろじゆく

[現在地名]更埴市屋代町

現国鉄信越線屋代駅から約三〇〇メートル北へ寄って旧北国脇往還に沿って形成された。上りは下戸倉宿で約二里、下りは丹波島宿で約三里の位置にある。

慶長一六年(一六一一)領主松平忠輝は次の文書を出した(柿崎文書)。

<資料は省略されています>

とあり、宿の成立は慶長一六年(一六一一)であろう。また元和六年(一六二〇)海津城主酒井忠勝も屋代村・雨宮(あめのみや)村、福島(ふくじま)村(現須坂市)、稲積(いなづみ)村(現長野市)へ「伝馬町相定」の命を下している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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