日本歴史地名大系 「二ッ柳村」の解説 二ッ柳村ふたつやなぎむら 長野県:長野市篠ノ井地区二ッ柳村[現在地名]長野市篠ノ井二ッ柳篠ノ井から県道新町(しんまち)線に沿って南西にひろがる地域。東は布施高田(ふせたかだ)村・御幣川(おんべいがわ)村、南は塩崎(しおざき)村、西は石川(いしかわ)村、北は布施五明(ふせごみよう)村に接する。慶安二年(一六四九)の松代御領分村々高附分村明細帳(久保文書)には中条(なかじよう)村、作見(さくみ)村、大当(おおとう)村の枝村がある。金沢文庫古文書によると、正和五年(一三一六)四月二五日、三善康基が「石川庄二柳郷惣領分事」として、更級(さらしな)郡石川庄二柳郷内惣領分の名田を某に売り渡したことがみえる。 二ッ柳村ふたつやなぎむら 山形県:酒田市旧荒瀬郷地区二ッ柳村[現在地名]酒田市豊原(とよはら)福升(ふくます)村の西にあり、北西は荒田目(あらため)村、地内を新田目(あらため)堰が西流する。小字に蓬田(よもぎだ)がある。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録では二ッ柳村高一八石余・蓬田村高三七石余。同九年の二柳村・蓬田村検地帳(茂木文書)によると高二〇石余、田七町六反余・畑一町六反余、ほかに羽黒山領三二石余・田二町二反余。名請人一七人、うち二ッ柳分は与助・与三右衛門ら六人、蓬田分は一一人。寛文三年(一六六三)当村など三〇村は荒瀬郷の門田(もんでん)谷地に草刈願を出し許された(大泉紀年)。寛永元年庄内高辻帳では両村合せて一二〇石余。寛文九年の検地帳(茂木文書)によれば高はほぼ同じで、ほかに羽黒山領三二石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by