日本歴史地名大系 「矢代浦」の解説 矢代浦やしろうら 福井県:小浜市矢代浦[現在地名]小浜市矢代志積(しつみ)浦の東に位置し、東南は山を境にして大谷(おおたに)村、北東は若狭湾に面する漁村。「若狭国志」に「旧称稲富相伝源頼政射朝廷賞之賜此村因後改矢代」とあり、古くは稲富(いなとみ)浦を称したと伝える。寛治四年(一〇九〇)に賀茂別雷(かもわけいかずち)社領として立荘された宮川(みやがわ)庄に属した。仁安三年(一一六八)八月日付若狭国司庁宣(賀茂別雷神社文書)に「可早奉免賀茂別雷社御領矢代浦壱処事」として「右件浦、為往古社領之由、自本社有其訴者、於彼御領、永令停止国役雑事事、可備進日別貢□之状、所宣如件、留守所宜承知、依件行之、以宣」とあり、仁安三年をかなりさかのぼって開発されていたことがうかがわれる。当浦は「磯はた(端)にて候間、田地山林等不甲斐々々、海上漁計にてハこらゑかたく候」(永和二年八月日付「矢代浦刀禰百姓等言上状案」矢代区有文書)とあり、漁業が中心であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by