工工四(読み)くんくんしー

日本大百科全書(ニッポニカ) 「工工四」の意味・わかりやすい解説

工工四
くんくんしー

琉球(りゅうきゅう)三味線音楽の楽譜。「当流」を開いた琉球音楽の大改革者屋嘉比朝寄(やかびちょうき)によって創作された。彼は中国の楽譜に倣って琉球の楽譜をつくり、書き流し工六四(クルルンシー)とよばれた。曲目は『伊集早作田(いじゅはいつくてん)節』『いよのし節』『其万歳(そのまんざい)節』など117曲になっている。屋嘉比の孫弟子にあたる知念積高(ちねんせっこう)は、作曲・詞曲の訂正を行い、楽譜の改良などを試みて芭蕉紙(ばしょうし)工工四を書き上げた。このころから工工四と称し、屋嘉比の工六四に46曲を加え、163曲にして上下2巻に収めた。さらに知念弟子野村安趙(あんちょう)は、尚泰王の助言や弟子たちの協力で御拝領(ごはいりょう)工工四を1870年(明治3)に完成させた。上、中、下、拾遺からなり240曲になっている。

[當間一郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「工工四」の意味・わかりやすい解説

工工四
くんくんしー

沖縄三線 (さんしん) の楽譜。中国の文字譜である工尺譜参考に,屋嘉比朝寄 (やかびちょうき) が考案したもので,初め工六四 (くるるんしー) と呼ばれた。その後さらに門弟知念績高や野村安趙らによって,改訂が行われた。勘所を文字で記した表音譜である。

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世界大百科事典(旧版)内の工工四の言及

【沖縄[県]】より

…ナヨリとも)などが行われ,また,饗宴の席などでは当時全盛のオモロが赤犬子(あかいんこ)などの歌人によってうたわれたようだが,当時中国から三弦が伝来し,やがて三線(さんしん)とよばれて宮廷奉仕の士族たちがつま弾くようになるとオモロはすたれ,かわりに8・8・8・6調の短歌(琉歌とよぶ)を士族たちがつくって,それを三線にのせてうたうようになった。16世紀にはこの三線が本土へ渡って三味線を生むことになるが,宮廷では17世紀に湛水親方(たんすいおやかた)が出て三線歌曲の芸術化が急速に進み,18世紀には聞覚(もんかく),屋嘉比朝寄(やかびちようき)などが工工四(くんくんしい)と称する楽譜を編み,また19世紀には野村安趙が野村流を,安富祖(あふそ)正元が安富祖流を興して,近代の三線音楽を確立した。 舞踊は16世紀ころ,宮廷奉仕の若衆(わかしゆ)(未成年男児)が新国王の冊封に来琉する明国の冊封使を饗応する宴席で,華麗な扮装で踊りを披露し,17世紀にも童児の群舞が行われた。…

【屋嘉比朝寄】より

…謡曲の技法などを取り込んで,旧節に替わる当流(とうりゆう)と称する楽統を創始した。また中国に範をとった琉球初めての三線楽譜〈工工四(くんくんしい)〉を考案するなど,琉球音楽の保存とその近代化に貢献した。沖縄[芸能]【三隅 治雄】。…

※「工工四」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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