日本歴史地名大系 「知立古城跡」の解説 知立古城跡ちりゆうこじようあと 愛知県:知立市池鯉鮒町知立古城跡[現在地名]知立市西町 西中世永見氏の居館跡。永見氏は代々知立神社の神主であるが、永見氏家譜(知立神社古文書)に「建久二亥年正月三河国於知立城西南百五十町内三十町神領也 合可令領之旨頼朝賜証文 奉行和田小太郎」とある。一七代貞英の室は刈谷城主水野忠政の娘で、その子於万は家康の側室となる。同城は永禄三年(一五六〇)桶狭間の戦後織田氏に焼かれて消滅したが、のち刈谷城主水野勝成が、長さ一一間・横六間の御殿を増築、以後、将軍上洛の際の便殿とし、御茶屋と称したが、元禄一二年(一六九九)の地震により壊滅、以来将軍家以外には用のないところから再建されていない。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by