朝日日本歴史人物事典 「石塚国保」の解説
石塚国保
江戸中期の機業家。下野国(栃木県)那須郡興野村生まれ。家業は医業であるが養蚕を始め,村内に普及した養蚕,生糸業を活かす織物生産の道を模索し始める。寛延3(1750)年に京都西陣に赴き,織布の技術を学ぶ。数年後に帰郷,郷里で織布業を創業した。主力の織物は竜紋と呼ばれ,官位装束や女性用の帯に用いられたという。その後,様々な改良が加えられ,文政期末の綿糸との交織による綿繻子織に結実していく。この絹綿交織物の開発は,幕末開港以降,足利地方の織物業が素早く輸入綿紡績糸を導入し,絹綿交織物(経糸に生糸,緯糸に輸入綿紡績糸)生産を発展させる重要な前提となった。<参考文献>大林雄也『大日本産業事蹟』
(谷本雅之)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報