京都で生産された先染めの織物。図案を基に染めた多彩な糸を使い、模様を綿密に織り上げるのが特徴。各工程が細かく分業化されている。平安時代ごろから京都では高級な織物業が盛んだったが、1467年に始まった応仁の乱で京都が荒廃。西軍の本陣があった場所に職人らが戻り、絹織物業を再開したことから「西陣織」の名称が生まれた。西陣という行政区域はないが、京都市街の北西部を中心に生産者が集まる。
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室町末期の応仁の乱後,山名氏の西軍陣地(西陣)跡に機業が復活,繁栄して以来,この地で産した織物をいう。京の地では上代以来機織が行われ,広隆寺を創建した秦氏が山背の地,太秦(うずまさ)を本拠として活躍した。やがて平安遷都にあたって,律令制以来の織部司も移されて,この地が日本の機織の中心となる。しかし平安中期には私営の機を設置して錦綾を織る風があらわれ,私織が盛んに行われ,ついに官営の織部司は廃絶し,民業の機織発展が始まる。そこで登場したのが大舎人(おおとねり)の綾,大宮の絹である。いずれも織部町の近くで,官営工人とは古くからの関係があったと想像される。以降,大舎人の機業は発展し,後に山科家の下で御寮織物調進のことにあたるなど,民業として隆盛するが,応仁の乱を迎えて挫折し,ついには廃絶のやむなきに至る。織手は難を逃れて諸国に流れたが,乱後帰京し,まず東陣の西方(白雲村)において清白の絹をはじめ練貫(ねりぬき)や格子などを織り始める。一方,大舎人方は西陣跡を中心とし,主として綾織物をもって再登場する。白雲村から西陣跡に移る者もあり,その後,大舎人方と練貫方は成織品について主導権をあらそうが,1571年(元亀2)大舎人座は内蔵寮織物司に補せられて,西陣機業の基礎が固められた。しかし当時の技術的水準の低下は著しく,補織部司によって技術上の工夫が続けられ,しだいに新しい内容表現の織物が行われることとなった。さらに近世初期には中国明の織物の影響下に金襴,唐織,蜀江(しよつこう)錦,繻珍(しゆちん)などの新織法が導入され,技術的に成長発展し,漸次高級織物化する。しかし,江戸時代を通じて,つねに奢侈禁止の対象とされ,唐糸の輸入制限と国産糸の増産による地方絹の進出におびやかされ,また大火に罹災するなど打撃をこうむるが,幕府の保護も受けながら,やがて高機織屋仲間を結成(のちに解散,再結成)し機業不振,糸高,幕末の動乱を乗り切って近代を迎える。
明治維新は西陣にとっても大きな試練の時期であった。例えば宮中における儀式典礼の具や,貴紳の服飾などが一新したことなどにより,伝統的な織物類の需要がいっそう衰えた。そこで明治新政府の産業保護奨励策によって,京都府も西陣機業の保護に尽くした。遷都によって景気劣化が明らかな京都への下賜金を基とした勧業資金中,3万円が貧窮織工の救済を目的として西陣に貸与され,西陣物産会社が創立された。同社ではまったく新しい方針を採用し,外国の好みにも注目したことはその後の西陣の展開をうかがう上で特筆される。洋式織機の輸入はこの事情を物語るものといえよう。1872年(明治5)京都府知事は佐倉常七,井上伊兵衛,吉田忠七をフランスのリヨンに留学させ,翌年,佐倉・井上がジャカードをはじめとする西欧式の織機類を初めて輸入した。一方,73年ウィーン万国博覧会出張に随行した伊達弥助は,各地の優れた織物に魅せられて視察研究し,75年数多くの参考品を持って帰国し,西陣織の新生面を開拓することに力を尽くした。その後,日本製ジャカード機の成功(1877),87年ころには動力によって作動する力織機の導入など技術革新を進め,また洋風意匠や新組織の工夫考案,合成染料の利用など新しい織物の開拓に意欲的に取り組み,万国博などへの出品を通じて西陣機業の優秀さを内外に示した。幾多の戦争による起伏など,さまざまな困難を経ながら,西陣は高度に洗練された織物の伝統を維持している。
西陣織製品の種類は時代によって異なり,ことに近代以降の変化は著しい。江戸時代以来今日まで織り続けられているおもなものには,帯地,御召(おめし),金襴,錦(にしき),綴(つづれ)などがある。花嫁衣装の打掛地,能装束の服地,袱紗(ふくさ)など特殊な用途のものも多い。織物技術では有職織物や綴,金襴,唐織,紋紗,緞子(どんす)などが西陣の独壇場といえよう。
執筆者:切畑 健
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京都西陣から産出する織物の総称。特定の織物組織をさすものではない。現在、西陣で新しい織物がつくられたとき、適当な名称がないとなんでも西陣織に組み入れてしまう傾向がある。一般には美術工芸品に属する高級織物で、錦(にしき)・金襴(きんらん)・繻子(しゅす)・緞子(どんす)などをはじめ、絹・毛・木綿(もめん)・合繊などで織り出される織物が含まれており、日本の織物の代表的名称として使われることもある。
起源は、平安遷都のとき織部司(おりべのつかさ)を設置し、宮廷官人層の需要に応じる高級織物を織り始めたが、やがて律令(りつりょう)制の衰退とともに縮小されることになり、応仁(おうにん)の大乱は織工たちを各地に分散させることになった。しかし大乱が終わったのちは、市外の白雲(はくうん)村に戻り、江戸時代に入るまでには、さらに山名宗全(やまなそうぜん)の西陣跡に居を移して生産集団をつくりあげた。ここでは、中国から堺(さかい)を通して伝わった新しい織物技術をもって、金襴・繻子・ビロード・唐錦(からにしき)などを織り出し、現在の基礎を確立した。そして西陣はつねに幕府の保護育成のもとに生産が行われ、織物技術の水準が維持された。しかし幕末ごろには桐生(きりゅう)・足利(あしかが)など西陣に対抗するような産地が生まれつつあったし、天明(てんめい)の大火や天保(てんぽう)の絹物禁止などは、生産に大きな影響を与えた。また、1868年(慶応4)の東京遷都により徹底的に打撃を受けたようにみえたが、御下賜金などによる殖産興業政策で、西欧からジャカード織機などを輸入して近代化を図り、伝統産業としての息吹を吹き返した。これも1940年(昭和15)7月7日のいわゆる「7.7禁令」とよばれる奢侈(しゃし)禁止令により、金・銀などの高級品の使用を禁止され、機業家に大きな打撃を与えた。しかし、幸いにも戦火から免れたため、伝統の根は第二次世界大戦後になって芽を吹き、復興をみた。
現在では、機業のオートメ化も進行し、帯地、洋服地、着尺地、ネクタイ、マフラーなどの服飾品や室内装飾品など多彩な分野に新しい息吹が持ち込まれつつある。
[角山幸洋]
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応仁の乱の後,京都の西陣跡に皇室や室町幕府の庇護下に発展を始めた,絹を主体とする着尺・帯地用の高級織物。江戸時代,西陣は中国から輸入される原料(白糸)の確保など幕府の保護を得て,全国の絹織物生産の拠点となった。1730年(享保15)の大火「西陣焼け」を機に丹後・長浜・桐生などの織物産地へ技術が流出し,それらの田舎絹との競争に悩まされるようになったが,19世紀初めまで発展した。天保年間(1830~44)における飢饉や株仲間の解散,幕末期における生糸輸出の激増を背景とする原料の入手難などにより明治初期には衰退した。その後,京都府の助成に支えられて伝統産業として復興し,今日まで続いている。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域ブランド・名産品」事典 日本の地域ブランド・名産品について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…特に戦国期の軍需利用によって,その普及,発展は大きく促進され,やがて一般庶民の需要を高め,国民の衣生活に大きな変革をもたらしたのである。
[西陣織の成立]
応仁の乱は京の街を荒廃させ,その余波は地方にも及んで群雄割拠の戦国時代を迎えた。その結果,織部司以来のながい伝統を保ってきた京都を中心とする織物の生産は中断せざるをえなくなり,地方の養蚕や機業も衰微していった。…
…江戸中期ごろまで日本の絹糸の質は中国産に劣っていたが,国費の流出をふせぐ意味から輸入が制限され,国産の絹糸が用いられるようになると,それが各藩における殖産事業と合致して各地で絹糸,白絹を生産するようになった。【小笠原 小枝】
[日本の絹織物業]
17世紀における絹織物業の中心地は京都西陣(西陣織)であり,中国からの輸入原料生糸の割当て(糸割符(いとわつぷ))などの点で江戸幕府の手厚い保護を受け,堺や博多などの絹織物業を圧倒しつつ発展していった。幕府は一方で百姓・町人による絹物の着用を厳しく制限しながらも,武士階級には参勤交代,妻子在府制などを通じて江戸における高度な消費生活を強制しており,西陣機業は彼らに高級絹織物の安定した需要を見いだすことができたのである。…
…京都市上京区の地名。西陣織の産地として有名である。地名は応仁・文明の乱において西軍(山名宗全)方の陣所となったことに由来する。…
※「西陣織」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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