石川佳純(読み)いしかわかすみ

知恵蔵 「石川佳純」の解説

石川佳純

卓球選手。1993年2月23日山口県山口市出身。全農(2011年7月より)所属。
母の久美さん、父の公久さんとも、卓球選手という環境で育ち、母がコーチを務める山口ジュニアクラブで、小学校1年生から卓球を始めた。山口市立平川小学校6年生で初参戦した全日本選手権で3回戦に進出して注目される。
2005年4月、親元を離れて大阪府羽曳野市の四天王寺羽曳丘中学校に入学し、ミキハウスJSC卓球部に加入。大阪府八尾市にある寮での生活を開始。
06年、全国中学校卓球大会個人の部、団体の部ともに優勝し、全日本卓球選手権大会カデットの部14歳以下シングルスでも優勝を果たす。
07年、全日本卓球選手権大会で史上最年少でのベスト4入り。世界卓球選手権大会(クロアチア・ザグレブ)に14歳で日本女子代表(ダブルス)として出場した。
08年四天王寺高等学校に入学。
09年4月、横浜で行われた世界卓球選手権大会、女子シングルス2回戦では、世界ランキング10位の帖雅娜(香港)を破る金星を挙げるなどの活躍でベスト8入り。
10年には、世界ジュニア選手権の団体で優勝。また、ITTFプロツアーモロッコオープン女子シングルスで初優勝。
11年には全日本選手権女子シングルス優勝、世界選手権女子シングルスベスト16、ITTFプロツアーチリオープン女子シングルス優勝など、世界のトップクラスで活躍。
12年7月時点の世界ランキングは6位。12年8月ロンドンでオリンピックに初出場し、第4シードとなった女子シングルスでは、準々決勝でワン・ユエグ(シンガポール)を4-1で破り4強入りを果たした。しかし、準決勝で李暁霞(中国)に敗れ、また、3位決定戦でも、フェン・ティアンウェイ(シンガポール)に0‐4のストレートで敗れ、メダルには届かなかった。
その後に行われた女子団体では、福原愛平野早矢香と組み、準決勝では、ここ4年間勝ったことがないシンガポールに3-0で快勝し、決勝進出。決勝では中国にストレート負けしたものの、銀メダルを獲得した。卓球競技での日本のメダル獲得は、卓球が1988年のソウル大会で正式競技になって以来、男女を通じて初の快挙
身長158cm、体重51kg(JOCのHPによる)。左利きのシェイクハンド。

(葛西奈津子  フリーランスライター / 2012年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石川佳純」の解説

石川佳純 いしかわ-かすみ

1993- 平成時代の女子卓球選手。
平成5年2月23日生まれ。両親は共に元卓球選手。小学1年で卓球をはじめる。戦型は左シェイクハンド攻撃型。17年小学6年のとき全日本選手権女子シングルスで3回戦にすすみ話題となる。翌年同選手権で5回戦にすすみ初の日本代表候補となる。20-21年インターハイ,国体,全日本選手権ジュニア女子,選抜と国内4大会を高校1年生にして完全制覇。21年全日本選手権女子ダブルス初優勝(平野早矢香とのペア)。22年世界選手権では4勝をあげて日本の団体銅メダル獲得に貢献する。同年全日本選手権ジュニア女子で史上初の4連覇,全日本選手権混合ダブルス優勝(松平健太とのペア)。23年全日本選手権女子シングルスで福原愛,藤井寛子を破り初優勝。24年ロンドン五輪の団体(福原愛・石川佳純・平野早矢香)で銀メダルを獲得,シングルスは4位入賞。27年全日本選手権の女子シングルス,女子ダブルス,混合ダブルスを優勝して3冠を達成。全農所属。山口県出身。四天王寺高卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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