知恵蔵 「福原愛」の解説
福原愛
3歳9カ月から卓球の英才教育を受け、4歳でテレビに登場。マスコミで「天才卓球少女」「泣き虫愛ちゃん」と呼ばれ親しまれた。
5歳で全日本選手権バンビの部(小学校2年生以下)で史上最年少優勝を果たす。その他にも、様々な大会で史上最年少記録を作った。
小学校4年生でプロ宣言をし、ミキハウスとの専属契約を機に大阪へ移住した。中学生の時には、より良い練習環境のために青森へ。青森山田高等学校(青森県)を経て、早稲田大学スポーツ科学部(東京都)に入学し、その後中退する。
94~2000年の全日本選手権大会各年齢別クラスで、シングルス7年連続優勝を果たす。その後、00年に日本選手権大会カデット、01年にジュニアシングルス優勝など、国内大会で数々の輝かしい結果を残す。04年の世界選手権ドーハ(カタール)大会では女子団体銅メダル、アテネ・オリンピックではシングルスベスト16。05年には中国卓球クラブ超級リーグへ初参戦し錬磨。09年国際卓球連盟(ITTF)のプロツアー・モロッコ・オープンでシングルス優勝(ツアー初優勝)。08年の北京オリンピックではベスト16。11年の世界選手権ロッテルダム(オランダ)大会では混合ダブルスで銅メダルを獲得する。大会後の世界ランキングにより、シングルスのロンドン・オリンピック出場権を獲得した。12年、全日本選手権大会シングルス優勝で同大会の全タイトルを獲得し(優勝回数20)、史上初のグランドスラムを達成した。12年のロンドン・オリンピックでは、女子団体で中国に敗れたものの、平野早矢香、石川佳純と共に日本卓球史上初となる銀メダルを獲得した。
福原は中国メディアからも注目されており、今回の決勝の後は北京と違い泣かなかったことが大きく報道されるなど、人気の高さがうかがえた。
(菘(すずな)あつこ フリーランス・ライター / 2012年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報