日本歴史地名大系 「砂ヶ原村」の解説 砂ヶ原村いさがはらむら 栃木県:芳賀郡二宮町砂ヶ原村[現在地名]二宮町砂ヶ原上谷貝(かみやがい)村の南にあり、村の中央を鬼怒川が南流する。「いさがら」ともよぶ。一五世紀後半と思われる八月二七日の結城氏広寺領安堵状断簡(乗国寺文書)に「いさこわら」とみえ、下総結城乗国(じようこく)寺領と思われる当地の年貢収納に、氏広の娘があたることを在地の人々に伝えている。弥勒三年(干支は丁卯とあり、一五〇七か)七月二八日結城政朝(氏広の子)は「いさこハら」のうち二三貫文の地の直接収納を乗国寺に認めている(「結城政朝安堵状」同文書)。慶安郷帳では田高三六八石余・畑高一七四石余、宇都宮藩領(高五一七石余)と旗本坂部領(高二五石余)の二給。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by