鬼怒川(読み)キヌガワ

デジタル大辞泉 「鬼怒川」の意味・読み・例文・類語

きぬ‐がわ〔‐がは〕【鬼怒川】

栃木県北西端にある鬼怒沼に源を発し、県中央部を貫流して茨城県南西部で利根川に合流する川。長さ177キロ。上流に多目的ダムや温泉が多い。古くは毛野川とよばれ、太平洋に注いでいた。

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共同通信ニュース用語解説 「鬼怒川」の解説

鬼怒川

茨城、栃木両県を流れる利根川水系の1級河川。長さは約177キロ、流域面積は1760平方キロメートルで、栃木県日光市の鬼怒沼が源流。上流には日光や鬼怒川温泉など、日本有数の観光地が点在している。上流域のダムの整備などが進んで以降は、大規模な災害が比較的少なかった。

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精選版 日本国語大辞典 「鬼怒川」の意味・読み・例文・類語

きぬ‐がわ‥がは【鬼怒川】

  1. 栃木県北西部の鬼怒沼に発し、同県中央部を貫流して利根川に合流する川。上流に川俣湖などの人造湖龍王峡などの渓谷があり、中流以下は、下野国、下総国、常陸国を結ぶ交通路に利用された。絹川。衣川。鬼奴川。古名は毛野川。

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日本歴史地名大系 「鬼怒川」の解説

鬼怒川
きぬがわ

塩谷郡栗山くりやま村西方、鬼怒沼きぬぬま(二一四〇・八メートル)の南西麓奥鬼怒沼に源を発し、小支流を合せながら帝釈たいしやく山地の中を東へ流れ、塩谷郡藤原ふじはら町川治付近で、北から男鹿おじか川が合流、向きを南にかえて藤原町域を流れ下る。高徳たかとく(同町)佐下部さげぶ(今市市)付近で板穴いたな川等を合せて流れを東にかえ、南西から大谷だいや川が合流する。今市市と塩谷郡塩谷町の境を南東に流れ、同郡氏家うじいえ町と河内かわち郡河内町境で再び南へ向きをかえて右岸で小支流を合せ、県中央部の広大な穀倉地帯を広い川幅で緩やかに蛇行しながら南下する。小山おやま市と芳賀はが二宮にのみや町の間を南へ流れて茨城県下館しもだて市に入り、同県北相馬きたそうま守谷もりや町で利根とね川に注ぐ。河内郡上河内村北部でいったん右岸に分れ河内町で合流する分流西鬼怒川がある。県内最大の河川で、流路延長一七四・五キロ、うち県内分一二四・八キロ。流域面積一七六〇平方キロ、うち県内分一一四三・二平方キロ。一級河川。

「続日本紀」神護景雲二年(七六八)八月一九日条によれば、天平宝字二年(七五八)東海・東山道使正六位下藤原朝臣浄弁らによって上申された「毛野川」の掘防ぎ工事が許可されている。工事が許可されたのは常陸・下総国内であるが、この毛野けぬ川を鬼怒川の古称と推定する説もある。古代・中世には衣川・絹河とも書かれた(年未詳八月一九日「足利成氏充行状写」那須文書など)。文明一八年(一四八六)日光から宇都宮に入った聖護院道興は、「宇津宮を立てきぬ川といへる所にてよめる」として「もみち散山はにしきをきぬ川にたちかさねたる波のあや哉」と詠んでいる(廻国雑記)。文政二年(一八一九)阿久津あくつ河岸(現氏家町)から江戸へ向かった安積艮斎の「下絹川記」では絹川と記されており、鬼怒川の字があてられるようになるのはずっと遅く、明治九年(一八七六)頃からと思われる。

〔河岸〕

近世初期から内陸水路としての役割が重要で、慶安四年(一六五一)の「下野一国」によれば、鬼怒川の河岸として福良ふくら中島なかじま(現小山市)吉田よしだ(現河内郡南河内町)柳林やなぎばやし(現真岡市)石井いしい道場宿どうじようじゆく板戸いたど(現宇都宮市)、上阿久津(現氏家町)下小倉しもこぐら逆木さかさぎ川河口(現河内郡上河内村)の一〇河岸が記される。舟の遡航終点は左岸の上阿久津河岸であった。開設の時期は上阿久津河岸・板戸河岸とも慶長年間(一五九六―一六一五)と伝えられている。

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百科事典マイペディア 「鬼怒川」の意味・わかりやすい解説

鬼怒川【きぬがわ】

利根川の支流。長さ177km。栃木県北部の帝釈(たいしゃく)山脈に発し川治で男鹿(おじか)川を合わせ,県中部にはんらん原をつくって南流,茨城県南西部で利根川に合する。古代・中世には衣川・絹河ともみえ,江戸時代は多くの河岸が置かれて,年貢米のほか商荷が上下した。上流は電源開発が進み川俣(かわまた)ダム,男鹿川に五十里(いかり)ダムがあり,川沿いの温泉の鬼怒川川治川俣,峡谷美の竜王峡などは日光国立公園に属する。
→関連項目五十里ダム石下[町]茨城[県]今市[市]氏家[町]宇都宮[市]上三川[町]関東平野小貝川塩谷[町]下館[市]下妻[市]関城[町]帝釈山脈大谷川高根沢[町]利根川日光二宮[町]水海道[市]南河内[町]真岡[市]守谷[市]八千代[町]結城[市]

鬼怒川[温泉]【きぬがわ】

栃木県日光市,鬼怒川の河谷にわく単純泉。34〜53℃。江戸時代から知られる滝温泉は3ヵ所の湯小屋があった。日光国立公園に属する関東有数の行楽温泉で,両岸に温泉街が発達。東武鉄道鬼怒川線が通じる。
→関連項目日光[市]藤原[町]

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鬼怒川」の意味・わかりやすい解説

鬼怒川
きぬがわ

栃木県北西部、群馬県との県境近くの鬼怒沼に源を発し、栃木県中央平地、茨城県西部を南流して利根川(とねがわ)に注ぐ川。一級河川。古くは毛野(けぬ)川といわれ、衣川、絹川とも書かれた。延長約177キロメートル、流域面積約1760平方キロメートル。上流約50キロメートルは山間を深い渓谷となって流れる。川治温泉(かわじおんせん)において南に流れを変え、男鹿(おじか)川をあわせ、鬼怒川温泉を経て平野に出た所で、女峰(にょほう)山・赤薙(あかなぎ)山斜面に発する板穴(いたあな)川をあわせる。今市(いまいち)扇状地の北東縁を南東に流れる途中で、中禅寺(ちゅうぜんじ)湖に発する大谷川(だいやがわ)をあわせ、さくら市から南流し、かつての扇状地を開析して低地を流れ、結城(ゆうき)市で田川をあわせ、茨城県守谷(もりや)市において利根川に合流する。上流山間の本・支流に五十里(いかり)、川俣(かわまた)、川治の多目的ダムが存し、発電、灌漑(かんがい)、洪水調節などに利用されるほか、発電専用の黒部(くろべ)ダムもあって、上流部は発電所が多い。山間部は、瀬戸合峡(せとあいきょう)、龍王峡(りゅうおうきょう)、国指定天然記念物の噴泉塔、鬼怒沼湿原などの観光ポイントや本・支流のイワナなどの釣り場に恵まれる。また、鬼怒川、川治、湯西川(ゆにしがわ)温泉に加え奥鬼怒温泉郷もあって、新緑、紅葉の時期はいうに及ばず、四季観光客が訪れる。中・下流部に農業用水の頭首工(とうしゅこう)(水路の頭部に設けられたダム)が築造されており、佐貫(さぬき)と勝瓜(かつうり)頭首工がおもなもの。いずれも農林省(現農林水産省)の直轄工事で施行され、佐貫から取水した農業用水は風見(かざみ)発電所を経て左岸の市堀(いちのほり)用水と右岸の逆木(さかさぎ)用水に分水され、約9000ヘクタールを灌漑する。宇都宮市の清原工業団地や耕地に用水を供給する鬼怒中央部用水事業も完了している。琵琶(びわ)湖産の稚アユなどが放流され、アイソウグイ)なども釣れる。中世・近世には舟運が行われ、水海道(みつかいどう)は商港として栄え、中流の阿久津河岸(あくつかし)は会津などからの廻米(かいまい)や木炭などの積換え港であった。かつては小貝川(こかいがわ)をあわせて太平洋に注いでいたが、江戸初期、1629年(寛永6)小貝川を分離し、また同じころ数次にわたる開削によって、利根川に注ぐように流路変更された。川の水質は全水域にわたり良好であり、水質の環境基準は、佐貫の上流はAA、下流はA類型に指定されている。

[平山光衛]


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改訂新版 世界大百科事典 「鬼怒川」の意味・わかりやすい解説

鬼怒川 (きぬがわ)

栃木県北西部,鬼怒沼湿原に源を発して県内を貫流し,茨城県西部を南流して利根川に合する川。古くは毛野(けぬ)川といわれ,絹川,衣川とも書かれた。全流域面積1760.6km2,幹川流路延長176.7kmは利根川の支流中最大。上流は山間を深い渓谷となって流れ,川治で男鹿(おじか)川を合わせて南に流れ,日光市の旧藤原町高徳(たかとく)から平野に出,今市扇状地の北東縁を流れる間に中禅寺湖から流出する大谷(だいや)川を合わせ,宇都宮市東部を南流し,茨城県結城(ゆうき)市で田川を合わせ,守谷市において利根川に注ぐ。1997年現在,上流山間地に五十里(いかり),川俣,川治の3多目的ダムと発電専用の黒部ダムが築造されており,鬼怒川,栗山,川俣,川治第1・第2など,12の水力発電所の出力は251MWに達する。また支流の砥(と)川上流には揚水式発電所が建設の途次にあり,流域一帯は電源地帯をなす。上流域は日光国立公園に含まれ,鬼怒沼湿原,湯沢噴泉塔(天),川俣の間欠泉,瀬戸合(せとあい)峡,竜王峡などの景観に恵まれ,湯西川温泉,奥鬼怒温泉郷,川治温泉,鬼怒川温泉もあり,四季にわたって観光客が訪れる。中流の栃木県塩谷町佐貫には佐貫頭首工があって,最大毎秒42tを取水し,同町の風見などで発電後,下流両岸の水田約9000haを灌漑し,宇都宮市の旧上河内町宮山田の高間木(こうまぎ)からは宇都宮市上水道用水を取水する。川治ダムは1983年完成したが,その一環である宇都宮市清原工業団地などに用水を供給する鬼怒中央部用水事業は継続中である。また,下流部の真岡市勝瓜(かつうり)には勝瓜頭首工が建設され,大井口,江連,吉田などの用水で約9400haを灌漑している。

 鬼怒川は中近世には水上交通路として重要であり,阿久津河岸(現,高根沢町)は会津などからの廻米や木炭などの積換港として栄え,水海道(みつかいどう)は鬼怒川水運の河岸として発達した。1629年(寛永6)小貝川を分離し,1621年(元和7)から54年(承応3)にいたる数次の開削で鬼怒川が利根川の支流となったことは,画期的な流路変更であった。18世紀初めごろ支流男鹿川に山崩れでできていた天然の古五十里湖が1723年(享保8)崩壊して下流一帯が大洪水(五十里洪水)に見舞われ,千数百人の死者を出した。
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鬼怒川[温泉] (きぬがわ)

栃木県日光市,鬼怒川上流の渓谷沿いにある温泉郷。流紋岩の亀裂線に沿って湧出する地下水涵養型循環泉である。泉質は単純泉,泉温は34~53℃。温泉は元禄年間(1688-1704)鬼怒川西岸の滝に発見されたといわれ,はじめ滝の湯,のちに下滝温泉と呼ばれた。近世は日光神領であったため,一般人の入湯は禁じられ,日光山の僧侶によって利用された。昭和になって鬼怒川温泉と改名,東武鬼怒川線の東京浅草直結とともに,東京の週末行楽地として急速に発展した。高層の旅館・ホテル街が鬼怒川の峡谷をはさんで両岸の岩壁に沿って立ち並び,遊興施設や飲食店も多く,大歓楽街を形成している。浅草から東武特急で約2時間,自動車では東北自動車道宇都宮インターチェンジから分岐した日光宇都宮道路経由が便利で,日光観光と鬼怒川温泉宿泊を合わせて一つの観光ルートとなっている。会津から山王峠越えの国道121号線や塩原からの日塩有料道路が通じ,今市と会津を結ぶ野岩(やがん)鉄道線も開通した。上流の川治温泉との間に石英粗面岩質の奇岩怪石の多い竜王峡を中心に渓谷美が見られ,ハイキングコースになっている。また付近には,湯西川温泉,五十里(いかり),川俣,川治の三つのダムや鶏頂山スキー場などもあり観光ルートは多岐におよんでいる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鬼怒川」の意味・わかりやすい解説

鬼怒川
きぬがわ

栃木県群馬県境の鬼怒沼山(2141m)の東麓,鬼怒沼に源を発し,男鹿川,湯西川,大谷川を合流して,関東平野を南流,茨城県常総市南部で利根川に注ぐ川。全長 176.7km。しばしば氾濫して治水の対象となった。寛永6(1629)年開削により小貝川を分離,元和~承応年間(1615~55)の開削で利根川の支流となる。古くから水運に利用されたほか,灌漑用水路により農業にも利用。上流部は瀬戸合峡,竜王峡,鬼怒川ラインなどの峡谷美に恵まれ,また川俣ダム五十里ダム川俣温泉川治温泉鬼怒川温泉があり,日光国立公園に属する。鬼怒川発電所(最大出力 12万7000kW)をはじめ,多くの水力発電所が設置されている。宇都宮市北部では豊富な伏流水を採取し,上水道の水源に利用。

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世界大百科事典(旧版)内の鬼怒川の言及

【四川奉行】より

…江戸幕府の職制。1725年(享保10)に新設された勘定奉行配下の役職で,江戸川,鬼怒川,小貝川,下利根川の4川の治水事業を担当した。28年には職掌地域が関東一帯に拡大された。…

【利根川】より

…坂東太郎とも呼ばれ,筑後川(筑紫二郎),吉野川(四国三郎)とともに日本三大河という。支流数は285で,おもな河川には赤谷(あかや)川,片品(かたしな)川吾妻(あがつま)川,烏(からす)川,渡良瀬(わたらせ)川鬼怒(きぬ)川小貝(こかい)川などがあり,分流として江戸川がある。
[利根川水系の成立]
 今日の利根川は発生的に,利根川と鬼怒川の合併河川とみることができる。…

※「鬼怒川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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