二宮町(読み)にのみやまち

日本歴史地名大系 「二宮町」の解説

二宮町
にのみやまち

面積:五五・二三平方キロ

郡の最南東端に位置し、北は真岡(もおか)市、西は鬼怒川を境に小山(おやま)市・河内(かわち)郡南河内町、東および南は茨城県西茨城郡岩瀬(いわせ)町・同真壁(まかべ)郡協和(きようわ)町、同県下館(しもだて)市と接する。町域の東部を小貝(こかい)川、中央部を五行(ごぎよう)川(いずれも鬼怒川水系)、西端部を鬼怒川がほぼ並行して南流し、その間に低い段丘と広大な平坦水田地帯が発達。東端部の小貝川東岸は八溝(やみぞ)山塊の最南端で、浅い谷間に阿部岡(あべおか)・三谷(みや)・水戸部(みとべ)などの集落がある。水田地帯は東部の小貝・五行両川の沖積平坦地と、西部の鬼怒川左岸沖積氾濫原に二分され、西側の中央を真岡市から続く低台地が南北に走り、五行川西岸を真岡鉄道と国道二九四号がほぼ並行して、南北に貫く。

県指定史跡の鹿の天神山(しかのてんじんやま)古墳をはじめ、中部から東部の低台地上に多くの古墳が散在する。町域の西部から下館市にかけて古代芳賀郡丈部(はせつかべ)郷(和名抄)、東部の物井(ものい)・横田(よこた)から真岡市にかけては同郡物部(もののべ)郷の郷域に比定される。


二宮町
にのみやまち

面積:八・九六平方キロ

県の南部、中郡の西部に位置する。東は大磯町、西は押切(おしきり)川を挟んで小田原市、北は丹沢(たんざわ)連峰を望み、足柄上(あしがらかみ)郡中井(なかい)町と接する。南の相模湾に面する一帯は袖(そで)ヶ浦(うら)海岸とよばれる。町は東西三・三キロ、南北三・八キロ。中央を南に葛(くず)川が流れる。国鉄二宮駅周辺が町の中心。昭和四〇年(一九六五)頃から東京のベッドタウン化し、北部に団地が造成され人口が増加した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「二宮町」の意味・わかりやすい解説

二宮〔町〕
にのみや

神奈川県南部,大磯丘陵にある町。南は相模湾にのぞむ。 1935年町制。地名は相模国の二宮である川勾 (かわわ) 神社があることにちなむ。ミカン栽培が盛んで,県の園芸試験場がある。慶応2 (1866) 年日本で初めてラッカセイが栽培された。海岸段丘上を東海道が通り,江戸時代には西部の梅沢の茶屋が間の宿としてにぎわった。東海道本線の開通により,町の中心は東部の二宮駅前に移った。近年は宅地化が著しい。海岸線を JR東海道本線,国道1号線,西湘バイパスが並走する。中央部を小田原厚木道路が横断し,西端にインターチェンジが立地。面積 9.08km2。人口 2万7564(2020)。

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