日本歴史地名大系 「祝子村」の解説 祝子村ほうりむら 宮崎県:延岡市祝子村[現在地名]延岡市祝子町・佐野町(さのまち)・大野町(おおのまち)・妙町(みようまち)・桑平町(くわひらまち)・宮長町(みやながまち)・夏田町(なつたまち)・檜山(ひのきやま)・尾崎町(おざきまち)・樫山町(かしやままち)岡富(おかとみ)村の北、稲葉崎(いなばさき)村の西に位置し、祝子川の中・下流域北岸平地と可愛(えの)岳南西麓および檜山南東麓山地に立地する。祝とも記される。天永元年(一一一〇)一一月日の今山八幡宮御神事并祭会料米下行引付(「今山八幡宮旧記」今山八幡宮文書)によれば、岡富の今山(いまやま)八幡宮の「祝」は正月朝拝神事の東舞一〇人のうち東座の一人を負担し、八月彼岸の礼拝講僧膳河北(祝子川以北の広域名称)役二一膳のうち三膳、一〇月放生会の僧座夕饗二〇膳飯菓物酒樽の二人分と御庁夕饗五一膳のうち三膳を負担している。また「夏田」は一月一三日の心経会の神馬東舞一〇人と万歳楽舞六人を井出北(いできた)(出北)、新名(にいな)(現日向市)などとともに負担し、一〇月の放生会の御庁夕饗五一膳飯のうち五膳分を負担している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by