改訂新版 世界大百科事典 「大友義統」の意味・わかりやすい解説
大友義統 (おおともよしむね)
生没年:1558-1605(永禄1-慶長10)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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(福川一徳)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
戦国時代の武将。義鎮(よししげ)(宗麟(そうりん))の長子。幼名長寿丸、のち将軍足利義昭(あしかがよしあき)の諱(いみな)を得て義統と称す。1576年(天正4)家督を相続したが(一説に79年)、政事はすべて父の手にゆだねられていた。87年豊臣(とよとみ)秀吉の島津征伐に従い功あり、豊後(ぶんご)(大分県)一国の安堵(あんど)を受けたが、文禄(ぶんろく)の役に従軍、平壌退却で秀吉の怒りを買い、封を没収され毛利輝元(もうりてるもと)に預けられた。秀吉の死後、徳川家康に近づいたが、関ヶ原の戦いで西軍に属して敗れ、東国に幽せられ、常陸(ひたち)(茨城県)宍戸(ししど)(一説に江戸・牛込(うしごめ))で没した。先に87年宣教師より受洗、コンスタンチノの教名を受けたが、のち秀吉の意を迎え棄教、領内信徒を迫害した。
[箭内健次]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…戦国期に豊後を本拠とした大名。義鑑(よしあき)の子。実名は義鎮(よししげ),入道して三非斎,府蘭,円斎,宗滴と号す。キリシタン大名と呼ばれるが受洗は隠居後。受洗名フランシスコ。1582年(天正10)大村氏,有馬氏とともに天正少年使節団を派遣したといわれるが,使節持参の宗麟書状は偽文書で,少なくとも宗麟に関するかぎり使節は偽使。キリシタンに好意を示した動機は明らかに貿易が目的で,豊後府内沖ノ浜などを南蛮船の貿易港とし,フィリピン等へ貿易船を派遣するなど十分な成果をあげた。…
※「大友義統」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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