日本歴史地名大系 「神田九軒町上納地」の解説 神田九軒町上納地かんだくけんちようじようのうち 東京都:千代田区旧神田区地区神田九軒町上納地[現在地名]千代田区岩本町(いわもとちよう)一丁目神田紺屋(かんだこんや)町三丁目上納地の東に位置する片側町。南は今川橋(いまがわばし)埋立地、北は町会所付(まちがいしよつき)請負地。明暦三年(一六五七)の新添江戸之図によると、当町から東にかけての地域は知足(ちそく)院などの寺地で、寛永江戸図でも同様である。寛文新板江戸絵図では同院東側に建部氏の名がみえる。知足院は筑波山知足院(現茨城県つくば市)の宿寺で、明暦の大火後に湯島切通(ゆしまきりどおし)(現文京区)に移ったという(沿革図書・「江戸紀聞」など)。天和年間(一六八一―八四)には南部に町屋が成立、北部は渡辺孫三郎拝借地となっている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by