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福井作左衛門 ふくい さくざえもん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

福井作左衛門 ふくい-さくざえもん

?-? 江戸時代前期の大工,枡座(ますざ)元締(もとじめ)。
はじめ法隆寺大工。寛永11年(1634)徳川家光の上洛の際,二条城棟梁と枡御用に任じられた。寛文9年幕府により京枡が全国基準となる。京枡座元締としての福井家は明治までつづき,枡の製造・販売,枡改めにあたった。大和(奈良県)出身。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

福井作左衛門

生年:生没年不詳
江戸初期の二条城棟梁,枡職人。初代作左衛門は,もともと大和国(奈良県)平群郡法隆寺村字福井に住む地侍で,のちに大和法隆寺大工になった。大坂の陣のとき中井正清配下の棟梁として,大坂における作事に参加。その後京都へ移り,寛永11(1634)年3代将軍徳川家光の上洛のさい,中井正純の推挙で京都所司代板倉重宗から二条城棟梁に任ぜられた。また同年,「枡御用」を受け,基準になる「御本枡」を賜り,京枡座を支配するようになったと伝えられる。二条城棟梁としては,大工頭中井家のもと,配下に独自の大工組である福井組を編成し,二条城の日常的な管理維持のための修理にたずさわった。元禄5(1692)年には,棟梁の一種である木挽頭という地位にあり,油小路通竹屋町下ル橋本町(京都市中京区)にいたことが知られている。枡職人としては,「枡座」のもと幕府から営業独占の特権が与えられ,京枡の製作・販売・検査を主な業務としていた。枡の製造には,金物業者や木地業者を配下において分業体制をとり,生産・流通両段階における枡の検査,すなわち「枡改め」によって,西国での京枡座支配を確立していった。寛文9(1669)年には,度量衡統一政策のもと江戸幕府が京枡を枡基準としたことによって,福井家で製造される京枡が全国の標準規格になった。享保7(1722)年からは,二条城棟梁の職から手を引いて,もっぱら枡関係業務に専念するようになった。しかし,明治8(1875)年度量衡取締条例によって枡座の独占権は失われた。<参考文献>谷直樹『中井家大工支配の研究』,京都市文化観光局『福井家旧蔵京升座関係資料調査報告書』

(高橋康夫・冨島義幸)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の福井作左衛門の言及

【枡座】より

…江戸時代前期の枡は,太閤検地における基準枡である納枡によってほぼ統一されていたが,厳密には各地また用途によって枡目には相違があった。幕府は,江戸では樽屋藤左衛門を,京都では福井作左衛門を枡座とし,それぞれ縦横4寸7分5厘・深さ2寸9分,縦横4寸9分・深さ2寸7分の枡を公定枡として製作,販売にあたらせていた。そして寛文期(1661‐73)には,全国的流通の活発化などを背景に,幕府は諸国枡の調査を実施し,その結果をもとに1669年京枡をもって全国の枡を統一しようとし,江戸の樽屋と京都の福井とを枡座に定め,枡の製作,販売を独占させようとした。…

※「福井作左衛門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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