日本歴史地名大系 「福知堂村」の解説
福知堂村
ふくちどうむら
中世には興福寺大乗院方衆徒福智堂氏があり、「大乗院雑事記」応仁元年(一四六七)五月六日条に「福智堂代官并九条庄百姓等参申、長屋庄与田地相乱事(下略)」とみえ、興福寺領福智堂庄があり、福智堂氏がその代官であった。また「多聞院日記」天文一一年(一五四二)三月一八日、一九日条に「福智堂ノ城ハ人数千五百計ニテ取廻シテ置間、不得相離コトヲ、今ニ責之云々」「昨夜ヨリ大雨降了、而処福智堂城後夜ノ時分ニ落居了」とあり、福智堂城の存在が知られるが、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報