日本歴史地名大系 「禾森村」の解説 禾森村のぎのもりむら 岐阜県:大垣市旧安八郡地区禾森村[現在地名]大垣市禾森・禾森町・新田町(あらたちよう)・美和町(みわちよう)・田口町(たぐちちよう)・大井(おおい)新規(しんき)川と水門(すいもん)川の間の平坦地、大垣輪中の中部に位置し、北は南寺内(みなみじない)村・南頬(みなみのかわ)村。野木杜とも記す。初め難儀森といったが、承保三年(一〇七六)禾森に改めたと伝え、難儀森の地名は、天下大乱の時、凶賊が宮の森を巣窟として通行人を脅かしたことによるという(手力雄神社由緒書)。枝郷禾新田がある。暦応三年(一三四〇)の大井庄華厳会料名寄帳(東大寺図書館蔵)に「野木杜殿」、応安三年(一三七〇)四月一四日の法華会料未進徴符案(東南院文書)に「野木杜六百十二文」とみえ、文安二年(一四四五)のものと推測される石包名未進注進状(東大寺図書館蔵)には「ノキノモリ」を冠する「ウマノヒヤウヘ」など六人の名が記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by