移原村(読み)うつるばらむら

日本歴史地名大系 「移原村」の解説

移原村
うつるばらむら

[現在地名]芸北町移原うつのばら

高野たかの村の西南にあって、落合おちあい川が高野村から入り南の米沢よねざわ村へ流れる。東は溝口みぞぐち村、西は大暮おおくれ村に接する。村名は正徳二年(一七一二)の「所務役人頭庄屋郡邑受方記」にみえるが、元和五年(一六一九)の安芸国知行帳では山野廻やまのまわり村に含まれた。慶長六年(一六〇一)の検地高は一三五・二九七石、その後、新開高を加え享保一四年(一七二九)の地詰では一三七・二四二石。宝暦一二年(一七六二)より定免五・二八、それ以前の上り詰六・六五、下り詰一・五五(国郡志下調書出帳)。広島藩領明知・給知入交じり。

村は山林が大半を占め、西・北・東に高山がそびえ、南に向けて低く開けており、「用水ハ井手懸リニ旱之無愁、肥草所自由」な村で農業をもっぱらとした。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む