稲下村
いなくだしむら
[現在地名]村山市稲下
最上川西岸、樽石川の下流に位置し、南は大久保村、北は大槙村。日影の館跡があり、中世末期に白鳥十郎長久の家臣長善寺右馬頭の居館であったと伝える。最上氏領から元和八年(一六二二)新庄藩領となり、下谷地郷に属した。当初は大久保村の内であったが、のちに分立した。分立年代は明確でない。吉村本村鑑に「大久保村より何年相分候哉古帳面ニも相知不申候、延宝三卯年地方目録相済候由、其年より別村相立候儀と相見え申候」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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