精選版 日本国語大辞典 「寒河江」の意味・読み・例文・類語
さがえ【寒河江】
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山形県中央部の市。1954年寒河江町と西根,柴橋,高松,醍醐の4村が合体,市制。人口4万2373(2010)。山形盆地西部に位置し,市域は葉山(1462m)の南麓部と最上川の支流寒河江川の扇状地の南半を占め,東部には最上川の沖積低地が広がる。明治に入って郡役所が置かれ,山形市に至る左沢(あてらざわ)線の全通(1922)によって西村山郡一帯の行政・経済の中心地として発展した。農村部は果樹栽培が盛んで,サクランボは県内随一の生産を誇る。フルーツやコンビーフの缶詰加工業,ニット工業,草履の生産などの地場産業がある。山形市と鶴岡市を結ぶ国道112号線(旧六十里越街道),東根市と米沢市を結ぶ国道287号線が通り,山形自動車道のインターチェンジがある。駅の近くには寒河江温泉がある。寒河江川扇状地扇頂部左岸の丘陵にある天台・真言両宗の慈恩寺は東北地方最大の朱印地をもっていた古刹(こさつ)として知られる。
執筆者:中川 重
中世の寒河江荘の地で,大江広元が鎌倉期に地頭となって以来,寒河江は荘内の中心であった。1584年(天正12)大江氏は最上義光(よしあき)に滅ぼされたが,中世以来の寒河江城は最上氏によって拡張・整備された。その後城郭は元和年間(1615-24)に破却され,在郷町としての発展をみる。はじめ山形藩最上氏領,1622年以後は天領となり,楯西・楯南・楯北各村の町場からなっている。36年(寛永13)以後,村山郡の天領6万3000石余を支配するため,楯南村に幕府代官陣屋が置かれ,その後幕末まで続き,陣屋町あるいは在郷町として発展した。六日町,七日町,十日町,新町などの市場町が発達したことはそれを示す。1885年楯北,楯南,楯西,本楯(もとだて)の4村が合併して寒河江村となり,89年には戸数921,人口5228。
執筆者:横山 昭男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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