村山市(読み)ムラヤマシ

デジタル大辞泉 「村山市」の意味・読み・例文・類語

むらやま‐し【村山市】

村山

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「村山市」の解説

村山市
むらやまし

面積:一九六・四六平方キロ

山形県のほぼ中央部に位置し、山形盆地の最北端にあたる。山形盆地は東西約二〇キロ・南北約四〇キロの南北に細長い舟底形の盆地で、北はこしき岳に連なる奥羽山脈末端によって尾花沢おばなざわ盆地と隔てられる。東部の山地尾花沢市および東根市域に属し、奥羽山脈中の一主峰御所ごしよ(船形山)の山麓地帯から、西は出羽丘陵山山頂に至る。中央部を最上川が北流し、碁点ごてんのせはやぶさの三難所が位置する。最上川の東岸には大沢おおさわ川が楯岡たておか扇状地を、また大旦おおだん川がたもやま扇状地を形成するが、小河川のため扇状地も小規模である。最上川西岸には千座せんざ川・樽石たるいし川・富並とみなみ川などがあるが、いずれも葉山東面に発する小支流で、扇状地の形成は微弱である。市域は南は東根市と西村山郡河北かほく町、東は尾花沢市、北は北村山郡大石田おおいしだ町、西は寒河江さがえ市と最上郡大蔵おおくら村に接する。市名は古来の村山郡・村山郷に由来する。

〔原始〕

最上川東岸にある小丘陵(標高一九四・三メートル)河島山かわしまやま遺跡があり、旧石器時代から縄文・弥生・古墳時代・古代・中世・近世に至る長期間にわたる遺跡である。縄文時代遺跡では、早期に最上川東岸の微高地にある土生田とちゆうだ遺跡・赤石あかいし遺跡、富並川上流の大高根おおたかね川の渓谷にあるやまうち遺跡、白鳥しろとりの三ヶ瀬遺跡、樽石の黒木沢くろきざわA遺跡、名取なとり後原うしろはら遺跡などがある。石鏃・石槍・石篦縄文土器などを多く出土する。前期には、大旦川沿いの山遺跡と竪穴住居跡を検出できた樽石川沿いの東原ひがしはら遺跡があり、中期には土生田の落合おちあい遺跡、湯野沢ゆのさわ中村なかむらA遺跡、富並の古道ふるみちおよび中山なかやま遺跡が大きな集落遺跡である。縄文後期・晩期になると楯岡扇状地扇頂の作野さくの遺跡、山扇状地扇頂のハバ遺跡と扇端の林崎はやしざき遺跡、富並川の川口かわぐちB遺跡やみやまえ遺跡などがあげられる。遺跡は山間渓谷沿いでは小規模ながら長期にわたり、大規模な集落は最上川に注ぐ小支流の河岸段丘上にみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「村山市」の意味・わかりやすい解説

村山〔市〕
むらやま

山形県中央部にある市。山形盆地の北部に位置し,ほぼ中央部を最上川が流れる。 1954年楯岡町,西郷村大倉村大久保村富本村戸沢村が合体し市制施行。同年袖崎村,55年大高根村を編入。中世最上氏の居城地で,江戸時代は羽州街道宿場町,市場町として発達。中心集落の楯岡は江戸時代末期の探検家最上徳内の生地。米作,野菜・果樹栽培が行われ,電気機器・精密機器工場が立地する。 1876年喜早伊右衛門が私財を投じて建設した東沢溜池があり,その周辺の公園はバラ園で有名。碁点 (ごてん) 温泉とともに観光客を集めている。 JR奥羽本線,国道 13,347号線が通る。面積 196.98km2。人口 2万2516(2020)。

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