日本歴史地名大系 「稲木神田」の解説
稲木神田
いなぎしんでん
稲木村付近に成立した伊勢神宮領の神田。保安三年(一一二二)三月一一日付東寺領大国庄専当菅原武道解(東寺百合文書)には「為稲木村刀禰住人等、乍置往古溝口、巧無実、為去年八月洪水、称破損由、掠成御外題、従当御庄田字八段長中心五町許、広深七八尺大溝押堀間、庄領田一町三段、永令荒廃」とあり、稲木村の刀禰住人らが前年八月の洪水によって往古の溝口が破損したと称し、祭主外題を掠め取って、新たな大溝を押掘したため、「庄領田一町三段」が荒廃したと述べている。この刀禰住人らの中心人物は稲木大夫とよばれた荒木田延能の子、稲木小大夫延明であり、彼らのこうした動きは伊勢神宮の祭主のもとで禰宜庁が勢力を増す動きと相関関係をもち、また神郡で神領が排他的に形成されていく動きとも連動していた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報