稲田朋美(読み)いなだともみ

知恵蔵 「稲田朋美」の解説

稲田朋美

日本の政治家、弁護士。1959年2月20日、福井県今立町(現越前市)生まれ。自民党所属の衆議院議員で、選挙区は福井1区。当選4回。内閣府特命担当大臣(規制改革担当)や行政改革・公務員制度改革担当大臣などを経て、2016年8月、第3次安倍晋三再改造内閣で防衛大臣に就任した。当選3回で大臣となるなどスピード出世が目立ち、「将来の首相候補」と見る向きもある。旧姓は椿原。
英語教諭だった父親の赴任に伴い、4歳で京都に引っ越す。京都府立乙訓高校(京都府長岡京市)を卒業後、早稲田大学法学部に入学。そして卒業の翌年、1982年に司法試験に合格した。85年に弁護士登録。法律事務所に勤めたが、89年、弁護士の夫と結婚し、その後、妊娠、出産を機に退職した。子育て中は産経新聞や同社発行の月刊誌「正論」を読み、日本の教育への意見などを投書するようになった。そのうちに高池勝彦弁護士(現在は新しい歴史教科書をつくる会会長)から誘われ、南京事件戦犯として処罰された少尉遺族朝日新聞毎日新聞などに損害賠償などを求めた訴訟「百人斬り訴訟」に原告の弁護士として参加した(原告敗訴)。
2005年、郵政民営化法案への賛否を巡り、小泉純一郎首相(当時)が衆議院を解散した「郵政解散」の直前、自民党本部で行った講演を聴いた安倍幹事長代理(当時)にスカウトされ、政界入りを決めた。05年衆議院議員選挙では、法案に反対した松宮勲衆議院議員(当時)への「刺客」として、自民公認で福井1区から立候補し、初当選した。
当選後の06年、若手議員らによる保守政策グループ「伝統創造の会」を結成し、会長となる。法務委員会、総務委員会、財政金融委員会の委員を務め、12年の第2次安倍内閣以降は、内閣府特命担当大臣(規制改革担当)やクールジャパン戦略担当大臣、国家公務員制度担当大臣などに起用される。10年に副幹事長(~12年)、14年には政調会長(~16年8月)となるなど党の要職も務めてきた。
歴史認識については、弁護士時代から南京大虐殺に否定的な発言をするなど、東京裁判を含む明治維新から現代までの歴史認識を検証する必要があるとの立場を取ってきたが、防衛大臣に就任してからは「防衛相として答える立場にない」などとしている。
また、政府が16年11月、安全保障関連法に基づき、南スーダンへの国連平和維持活動(PKO)への派遣部隊に新任務「駆け付け警護」(離れた場所で国連職員らが武装勢力に襲われた際、現地の国連司令部の要請などを受けて助けに向かう任務)を付与する閣議決定をしたことを受け、同月、防衛大臣として、交代する部隊に、16年12月12日から新任務を加える自衛隊行動命令を出した。
発言だけでなく、そのファッションも注目されている。トレードマークは眼鏡と網タイツで、12年のクールジャパン戦略担当大臣就任後から着用している。いずれも地元・福井の名産品をアピールするためという。防衛大臣の認証式で着た白と青のグラデーションが鮮やかな「富士山ドレス」も話題になった。
著書に『私は日本を守りたい 家族、ふるさと、わが祖国』(PHP研究所)などがある。

(南 文枝 ライター/2016年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「稲田朋美」の解説

稲田朋美 いなだ-ともみ

1959- 平成時代の弁護士,政治家。
昭和34年2月20日生まれ。昭和60年弁護士登録(大阪弁護士会)。平成17年衆議院議員初当選(当選4回,自民党)。法務委員会,総務委員会,財務金融委員会などの委員をつとめる。18年「伝統と創造の会」を立ち上げ会長。24年第2次安倍内閣の行政改革担当,公務員制度改革担当,クールジャパン戦略担当,再チャレンジ担当,内閣府特命担当相(規制改革)として初入閣。26年第2次安倍改造内閣発足にあたって自民党政調会長となる。福井県出身。早大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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