稲田邦植(読み)イナダ クニタネ

20世紀日本人名事典 「稲田邦植」の解説

稲田 邦植
イナダ クニタネ

明治期の北海道開拓者,男爵徳島藩家老



生年
安政2年11月18日(1855年)

没年
昭和6(1931)年5月26日

出生地
淡路国洲本城内(兵庫県)

別名
別名=稲田 九郎兵衛

経歴
慶応元年11歳で家督を相続。徳島藩家老で淡路洲本城城代だったが、明治元年戊辰戦争の際には東征大総督有栖川宮熾仁親王を守り、各地に転戦して功を立てた。3年稲田騒動(庚午事変)により開拓使を命ぜられ、北海道静内郡に移住して開拓事業に従事。10年西南戦争が起こると少尉として東京に駐兵。28年目名村の土地家屋を分家邦征に譲り、徳島県美馬郡猪尻に帰住。29年男爵を授けられ、大正9年隠居した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「稲田邦植」の解説

稲田邦植

没年:昭和6.5.26(1931)
生年:安政2.11.18(1855.12.26)
北海道静内町の開拓功労者。植誠の子。九郎兵衛と称す。徳島藩の家老で淡路洲本城城代だったが,独自に戊辰戦争に参加したため,本藩と対立。明治3(1870)年徳島藩より淡路を分離独立させようとして,徳島藩士との抗争が激化した(稲田騒動)。明治政府より北海道静内郡の支配を命じられ,翌4年一部の家臣とその家族を率いて入植。この入植は第1陣が荷物を火事で失い,第2陣が和歌山沖で海難にあうなど非常な困難に直面したが,自ら家族を呼び寄せて定住の姿勢を示し,教育所の開設などにより開拓を軌道に乗せた。明治28年引退して徳島県に戻った。<参考文献>淡路稲田会『庚午事変とその前後』,「淡路島から静内へ―稲田邦植―」(『開拓の群像』上,北海道〈庁〉)

(長谷川伸三)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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