日本歴史地名大系 「稲田鍛冶町」の解説 稲田鍛冶町いなだかじまち 新潟県:上越市旧高田市地区高田城下稲田鍛冶町[現在地名]上越市東本(ひがしほん)町五丁目本誓寺(ほんせいじ)町の南に続き、同町から南進してきた北国街道(奥州街道)が当町で東折。当町は位置的に城下の北東隅で、北国街道の稲田口にも近いため、町筋の南北には武士屋敷、また北側に寺社を置くなど防備が考えられている。町の長さおよそ七九間余(高田市史)。当町の一部を受人(うけにん)町とよんだ。弘化―嘉永(一八四四―五四)の頃まで家中雇人になるには身許請状が必要とされたが、その身許引請業者が多く住んでいたことから生じた名称という(高田市史)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by