穴町(読み)あなまち

日本歴史地名大系 「穴町」の解説

穴町
あなまち

[現在地名]金沢市長町ながまち二―三丁目

油車あぶらぐるま町南東部から北に入り、高儀こうぎ町に続く通りに沿う町で、北東たち町。町名は江戸時代前期に穴生衆宅地であったことにちなむという(金沢古蹟志)。元禄九年(一六九六)地子町の書上(「片岡孫作筆録」加越能文庫)に「古江伊左衛門上地町 穴町ト云」とみえる。古江伊左衛門は前田利家の時代からの藩臣古江氏の二代目(「加陽諸士本末系譜略記」同文庫)で、寛永一九年(一六四二)の小松養老付士帳(加賀藩初期の侍帳)に知行高四〇〇石とある。その後の史料では町名が確認できず、享保期(一七一六―三六)には付近を豆田まめだと称し(武士町細見図)、文化八年(一八一一)の金沢町絵図名帳では当町域を大豆田まめだ町と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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