窪川郷
くぼかわごう
現窪川町の西南部、四万十川流域を近世、窪川郷と称した。中世の仁井田庄(仁井田郷)の一部を占める。郷域は流動的で、寛永一一年(一六三四)と推定される土佐国検地牒(山内文庫蔵)では仁井田郷に属しているが、寛文七年郷帳(「南路志翼」所収)によると仁井田郷は郷域を縮小し、旧郷内から窪川上番一七ヵ村・同下番一〇ヵ村・米ノ川二ヵ村が分れた。窪川上・下両番を併せて窪川郷と称したのではないかとも考えられるが、明らかではない。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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