改訂新版 世界大百科事典 「組合村」の意味・わかりやすい解説
組合村 (くみあいむら)
村々の結合による一般的な意味での村連合としての組合村と,1827年(文政10)幕府が関東取締りのために設定した組合村とがある。(1)村連合としての組合村の起源は中世後期の惣村に求めることができよう。太閤検地以降の検地によって村切りなどが行われ,現代の大字程度の小規模な近世村が成立したが,この程度の村では水利や林野の維持・管理を行うことができず,周辺の村々が結合し,協定して再生産を維持する必要が生じた。このように再生産の必要から生じた水利組合的な村結合,林野組合的な村組合のほか,助郷(すけごう)の村々,あるいは祭祀・習俗を共にすることによる村結合など,組合村は多様に存在した。さらに大庄屋制度の存在した地方では,大庄屋管下の村々は行政的な組合村を結成していた。これらの組合村は,それぞれ組合議定を慣習的に,あるいは明文化してもっており,違反した村は制裁を受けた。
(2)江戸幕府は関東地方における治安取締りのために1805年(文化2)関東取締出役を設置したが,さらに取締りを強化するため27年文政改革を行い,その中心に組合村の設定を置いた。この改革はこれまでの警察的な村落治安の強化に加えて,在方商人,農間渡世人の調査,職人の手間賃の規制など商業・職人統制にも着手し,経済面からも小農村落の解体化に対応しようとしたものであり,政策実施を末端まで浸透させる方法として組合村を結成させ,組合村単位に調査,統制を行ったのである。この組合村は御料,私領,寺社領などの領主の異同に関係なく,近隣の村々3~5ヵ村で小組合を結成させ,小組合に属する村役人の中から〈身元相応のもの〉1人を小惣代に任命して,小組合の代表とした。さらに隣接の小組合10前後,村数にして40~50ヵ村で大組合を組織し,これをもって大組合取締組合の一単位とした。この大組合にはその属する村役人の中から数人を選任して大惣代とし,組合村役人として組合村の運営を担当させた。またこの取締組合の中で,とくに交通の要衝を占める中心的な村を組合村寄場と称し,その村の名主を寄場役人として取締組合の総責任者とした。小惣代,大惣代,寄場役人に任命されるものたちは村役人の中でも有力者で,いずれも在方商人的な質地地主・豪農層であった。この組合村の機能は,(a)警察的取締りの強化,(b)村内訴訟の内済的処理(村方騒動などを組合村の村役人の介入で鎮静させるなど),(c)農間商人,職人などの経済的統制,(d)若者組に対する規制,(e)封建的秩序意識の再建,などを指摘することができる。この組合村体制は幕府の崩壊まで存続し,関東農村支配の重要な拠点となったのである。なお地域によってはこの組合村の組織が維新政府のもとで,そのまま大区・小区制に引き継がれていった。
執筆者:森 安彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報