高岡郡(読み)たかおかぐん

日本歴史地名大系 「高岡郡」の解説

高岡郡
たかおかぐん

面積:一二七一・二六平方キロ
日高ひだか村・佐川さかわ町・越知おち町・仁淀によど村・葉山はやま村・東津野ひがしつの村・檮原ゆすはら町・窪川くぼかわ町・大野見おおのみ村・中土佐なかとさ

高知県中西部にあり、かつては東北が仁淀川を隔てて吾川あがわ郡、西北は山地をもって愛媛県、西南幡多はた郡に接し、南は土佐湾に臨む大郡であったが、第二次世界大戦後の町村合併により南東部海岸地方に土佐市・須崎市が成立して分離、また仁淀川流域では吾川郡との入組みが生じた。

「続日本後紀」承和八年(八四一)八月二三日条に「土佐国吾川郡八郷、各分四郷建二郡、新郡号高岡、郡司者分元四員、各置二員」とみえるように、高岡郡は平安前期に吾川郡の西部四郷を分割して新設されたものである。四郷とは「和名抄」のいう高岡郷・吾川郷海部あまべ郷・三井みい郷で、郡名は高岡郷によったと思われるが確定できない。

郡の西部中土佐久礼くれ窪川町南部地域は、中世幡多郡または一条家領幡多庄に属していたことが、建長二年(一二五〇)一一月日付の九条道家初度惣処分状(九条家文書)の幡多郡「加納久礼別符」や応安四年(一三七一)後三月一三日付の長福寺文書に「幡多庄仁井田村内新在家」とみえることなどからうかがえる。天正末年の長宗我部検地をまってほぼ近世の郡域が確定するが、天正一八年(一五九〇)の吾川郡片岡本村地検帳のアソヲノ村と南片岡みなみかたおかは、江戸時代には高岡郡浅尾あそお村・南片岡村(現越知町)となる。近代に入ると明治二二年(一八八九)仁淀川中心線をもって吾川・高岡両郡の郡界とする立場から、吾川郡中島なかじま(現土佐市)が高岡郡へ、高岡郡今成いまなり(現越知町)が吾川郡へ移動したが、昭和二八年(一九五三)以後の町村合併により郡界は再び移動して現在に至る。

〔原始・古代〕

高岡郡下の縄文遺跡としては、最も古いのが仁淀川支流柳瀬やなぜ川沿いにある佐川町不動ふどう岩屋いわや洞穴遺跡で、それについで城の台しろのだい遺跡がある。同遺跡からは多くの獣骨とともにオオカミの咬痕のある人骨が出土、学界の注目を集めた。この遺跡を中心に付近に越知町女川おながわ遺跡など縄文時代中期・後期の遺跡が多い。また東津野村檮原町葉山村・窪川町など山間部におもに分布するのは、採集経済の当時にあっては当然のことであるが、中土佐町の押岡おしおか遺跡は郡下では唯一の海岸近くにある縄文遺跡である。

弥生時代の遺跡は仁淀川・柳瀬川流域、高南こうなん台地を流れる四万十しまんと川上流域に集中的に分布。佐川町荷稲かいな遺跡は集落遺跡と考えられ、窪川町神西こうのさい遺跡は南四国における弥生中期末の標準遺跡となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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