日本歴史地名大系 「仁井田郷」の解説 仁井田郷にいだごう 高知県:高岡郡窪川町仁井田郷高岡郡西南部、四万十(しまんと)川上流域の高南(こうなん)台地を中心とした地域の称。仁井田庄とも単に仁井田ともいう。長宗我部検地の結果は天正一六年(一五八八)の仁井田壱斗俵村地検帳一冊と同一七年の仁井田之郷地検帳九冊にまとめられているが、仁井田之郷地検帳の第一冊に「仁井田之庄」とみえるのみで、他は仁井田之郷となっている。これらの地検帳によると郷域は現窪川町全域と中土佐(なかとさ)町の一部にあたる。足摺の金剛福(あしずりのこんごうふく)寺(現土佐清水市)供養の奉加官米を「幡多庄官百姓」に割当てたときの正安二年(一三〇〇)一一月日付左大将一条内実家政所下文(「蠧簡集」所収金剛福寺文書)に「仁井田山参斛五斗」とみえるので、古くは一条氏領幡多(はた)庄(現中村市・幡多郡など)に含まれていたことが知られる。仁井田之郷地検帳の宮内(みやうち)村・仕出原(しではら)村・川津野(かわづの)村に足摺分四一町六反余が打出されているのは、金剛福寺に寄進された幡多庄「仁井田山」の名残といえるかもしれない。応安四年(一三七一)後三月一三日付の足利義満御教書(長福寺文書)には「幡多庄仁井田村内新在家」とあり、仁井田村とよばれたこともあったようである。この地域がいつのころから幡多庄に属したかは不明であるが、建長二年(一二五〇)一一月日付の九条道家初度惣処分状(九条家文書)にみえる幡多庄の加納地「久礼別符」が現中土佐町久礼(くれ)付近に推定されており、「久礼別符」の成立と大いに関連すると考えられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by