立川二丁目(読み)たちかわにちようめ

日本歴史地名大系 「立川二丁目」の解説

立川二丁目
たちかわにちようめ

[現在地名]鳥取市立川町二―三丁目・同五丁目

立川一丁目の南にある。同町から続く通りを南へ下り、挽木畷ひきぎなわて(挽木・引木畷とも)とよばれる地域から天神川に向かって矢津やづの方へ曲がる角までで、西は吉方よしかた村。城下南端に位置し、天神川対岸は立川村。元禄一一年(一六九八)八月法美ほうみ郡在構から町奉行支配となり、城下町人地四八町の一町として起立された(町方御定)。安政六年(一八五九)の城下絵図によると武家屋敷が混在する。安永七年(一七七八)の家数一一〇、表口間数合せて二五三間余、町役負担一三〇人余、賦課比率の等級は下に定められる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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