日本歴史地名大系 「鳥取城下」の解説
鳥取城下
とつとりじようか
- 鳥取県:鳥取市
- 鳥取城下
〔形成〕
鳥取城の築城は天文年間(一五三二―五五)と伝えられるが、城下形成の時期は不明。天正八年(一五八〇)羽柴秀吉軍の第一次鳥取城攻撃の際、山下にあった町家・市場などが羽柴軍に焼払われており(六月一九日「羽柴秀吉書状」利生護国寺文書)、この頃には町家が形づくられていたことがわかる。同年までの山名豊国在城時の鳥取城は、久松山西麓の
近世鳥取城下町の形成は、天正九年から慶長五年(一六〇〇)までの宮部氏(五万石余)在城時期、慶長五年から元和三年(一六一七)までの池田長吉(六万石)在城時期、元和三年から寛永九年(一六三二)までの池田光政(三二万石)領治時期をそれぞれ画期として進行した。宮部氏の鳥取城居館は松の丸の下、藩政期の
慶長七年から池田長吉により城郭の大改修、それに伴う内堀の延長、外堀の開削が行われた。松の丸の方角に偏っていた宮部氏時代の山下の丸は南東方向へと拡張、移動され、新たに二の丸・三の丸・
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報