デジタル大辞泉 「沼田」の意味・読み・例文・類語
ぬ‐た【▽沼田】
「をぐろ崎―のねぬなは踏みしだき日も夕ましに
2 《
「君恋ふと
群馬県北東部の市。2005年2月旧沼田市が白沢(しらさわ)村,利根(とね)村を編入して成立した。人口5万1265(2010)。
沼田市中部の旧村,旧利根郡所属。人口3665(2000)。沼田盆地東端に位置し,旧沼田市の東に接する。利根川の支流,片品川北岸の山地を占め,中央部を白沢川が南流する。耕地は畑地が主で野菜の生産が中心。コンニャク栽培も行われる。第2次大戦後,片品川から取水する土地改良事業が行われて開田された。片品川沿いを国道120号線が走り,旧沼田市への通勤者も多い。
沼田市東部の旧村。旧利根郡所属。人口5274(2000)。東は栃木県と接する。利根川の支流片品川上流の山地と赤城山北麓の斜面を占め,標高2000m以上の山々に囲まれている。村域の大部分は林野で,国有林が大部分である。中心集落の追貝(おつかい)は片品川東岸の河岸段丘上にあり,国道120号線(旧会津街道)が通じる。耕地の大部分は畑で,野菜生産が中心。近年はアスパラガス,ウドなどの生産がふえている。林業が盛んで,製材工場も多い。根利(ねり)には林業機械化センターがある。1960年代以降,人口減少が続き,過疎地域に指定されている。片品川の吹割渓,吹割滝は名勝・天然記念物の指定を受け,追貝の南には老神温泉,園原ダム,園原湖がある。
執筆者:千葉 立也
沼田市西部の旧市で,沼田盆地の中心都市。1954年沼田町と利南(となみ),池田,薄根,川田の4村が合体,市制。人口4万6339(2000)。《和名抄》に渭田(ぬまた)郷,《吾妻鏡》に沼田御牧とあり,歴史は古い。鎌倉時代の初め沼田太郎が付近一帯を治めた。1532年(天文1)に台地の北西端に沼田城がつくられ,近世には真田,本多,黒田,土岐各氏の城下町として栄えた(沼田藩)。4・8の日に六斎市が開かれ,繭,生糸,木材,薪炭,雑穀類などが取引された。1924年上越線が開通し,台地上の旧市街より低い利根川沿いの低地に駅ができ,駅前町が発展し,製材,木材加工の工場群が立地した。台地上には家具,家庭用品の小工場が多い。周囲の農村では,コンニャク,シイタケ,リンゴなどの栽培が行われる。国道17号線と120号,145号線が交わり,尾瀬や日光へ通じる金精道路(1995年無料開放)への観光の基点となっている。また85年には関越自動車道が全通して,産業,観光の発展に貢献している。北部に迦葉(かしよう)山がそびえる。
執筆者:有末 武夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
群馬県北部にある市。1954年(昭和29)沼田町と利南(となみ)、池田(いけだ)、薄根(うすね)、川田(かわだ)の4村が合併して市制施行。2005年(平成17)利根(とね)郡白沢、利根の2村を編入、これにより面積は3倍となった。旧沼田町は利根川と左岸の支流片品(かたしな)、薄根の両川の合流する沼田盆地の中心で標高約400メートルの段丘上にある。古くは『和名抄(わみょうしょう)』に渭田(ぬまた)郷、『吾妻鏡(あづまかがみ)』に沼田御牧(みまき)と記され、1532年(天文1)沼田顕泰(あきやす)が段丘面北西端の断崖(だんがい)地形を利用して沼田城を築いてから城下町として発達、江戸時代の真田(さなだ)、本多氏らの支配を経て、幕末まで土岐(とき)氏3万5000石の城下町であった。また利根川上流地方や片品川流域を後背地に、繭、生糸、大豆、薪炭、木材などを扱う4、8日の市場町として発達した。1924年(大正13)上越線が約80メートル低い西側の段丘崖下に開通してから沼田駅付近に新たな市街地ができ、段丘面とはおもにジグザグ状のバス道路で連絡している。国道17号、120号、145号、291号が通じ、関越自動車道の沼田インターチェンジがある。旧利根郡地域の商工業の中心で、工業では製材、木製品に特色がある。農業は米作、畜産、果樹、野菜栽培が行われ、とくに観光リンゴ園が盛ん。尾瀬や丸沼、奥日光方面へのバスの起点で、迦葉山(かしょうざん)(1322メートル)の登山口でもある。薄根川の支流発知(ほっち)川に大規模な玉原(たまはら)ダムが建設された。東部の利根地区には老神温泉(おいがみおんせん)、吹割渓(ふきわれけい)ならびに吹割瀑(国の天然記念物及び名勝)がある。面積443.46平方キロメートル、人口4万5337(2020)。
[村木定雄]
『『沼田市史』全10巻(1995~2003・沼田市)』
北海道中西部、空知(そらち)総合振興局管内の町。1947年(昭和22)町制施行。町名は、1894年(明治27)入植、初めて農場を開いた富山県人沼田喜三郎(きさぶろう)(1834―1923)に由来する。雨竜(うりゅう)川が石狩(いしかり)平野に出るあたりの右岸を占め、雨竜川支流の上流部にはダムが多い。平野部は開田されて北空知穀倉地帯の一部になっている。JR留萌(るもい)本線、国道275号が通じ、深川留萌自動車道沼田インターチェンジがある。かつては浅野炭鉱、雨竜炭鉱の2炭鉱があり、札沼線(さっしょうせん)の起点でもあったが、1968年(昭和43)~1969年炭鉱は閉山し、札沼線の石狩沼田―新十津川(しんとつかわ)間も1972年廃止された。面積283.35平方キロメートル、人口2909(2020)。
[柏村一郎]
『『新編沼田町史』(1982・沼田町)』
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