朝日日本歴史人物事典 「立花忠茂」の解説
立花忠茂
生年:慶長17.7.7(1612.8.3)
江戸の大名,筑後国(福岡県)柳川藩藩主。幼名千熊丸,通称大助。諱貞之,忠貞,忠之,忠茂。号は好雪。従四位下,左近将監,飛騨守。筑後国三池藩主高橋(のちに立花)直次の4男,母は岡氏。立花宗茂の養子となる。元和8(1622)年元服,寛永14(1637)年家督を継ぎ,同年末の島原の乱に出陣。正妻(永井尚政の娘)没後(1男は早世),伊達忠宗の娘を継室として鑑虎以下4男2女をもうけ,庶子も含めて9男10女の父となった。寛文4(1664)年隠居して鑑虎に家督を譲り,立花宗家における久々の実子相続を果たした。
(福田千鶴)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報