佐々木小次郎(読み)ささきこじろう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

佐々木小次郎
ささきこじろう

[生]? 越前,一乗ヶ谷
[没]慶長17(1612).4.13. 長門
安土桃山時代から江戸時代初期にかけての剣術家。富田勢源 (とだせいげん) 門下として剣術を学び,16歳頃一流を立て巌流 (岸流) と称した。諸国を巡歴し「燕返し (つばめがえし) 」の剣法を創案,のち小倉藩主細川忠興に仕えた。慶長 17 (1612) 年船島 (別称,巌流島) における宮本武蔵との試合で敗死

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

佐々木小次郎 ささき-こじろう

?-1612 織豊-江戸時代前期の剣術家。
越前(えちぜん)(福井県)の人という。鐘捲(かねまき)自斎に富田流をまなび,武者修行で燕(つばめ)返しの剣法をあみだす。豊前(ぶぜん)小倉藩(福岡県)藩主細川忠興(ただおき)につかえ,慶長17年4月13日宮本武蔵(むさし)と船島(巌流島)で決闘し,敗れて死んだとつたえられる。出身,経歴には異説がおおい。幼名久三郎。号は巌流,岸柳,岸流。

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世界大百科事典 第2版の解説

ささきこじろう【佐々木小次郎】

剣客。生没年不詳。小説や映画で宮本武蔵と決闘することで有名であるが,実像には不明な点が多い。流名が〈巌流(がんりゆう)〉であるところから,小次郎のことを巌流とも呼ぶ。越前国浄教寺(一説に周防(すおう)国岩田)の生れで,中条流の名人富田勢源(とだせいげん)の高弟というのが通説である。中条流は小太刀を使うので,勢源は1尺5寸の小太刀を使ったが,小次郎には3尺余りの大太刀を持たせて訓練した。そのため小次郎は〈物干ざお〉と異名をとる大太刀を使うようになったという。

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大辞林 第三版の解説

ささきこじろう【佐々木小次郎】

?~1612) 江戸初期の剣客。岸柳(巌流)と称した。燕返しの剣法を案出。船島(巌流島)で宮本武蔵と試合し、敗死。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

佐々木小次郎
ささきこじろう
(?―1612)

近世初期の剣客。その伝は明らかではないが、越前(えちぜん)朝倉氏の本拠一乗谷(いちじょうだに)に近い浄教寺(じょうきょうじ)村の出身と伝え、幼少より剣を好み、中条(ちゅうじょう)流の富田勢源(とだせいげん)、あるいは勢源の弟子鐘捲自斎(かねまきじさい)の門に学んだという。のち諸国を歴遊し、いわゆる燕(つばめ)返しの秘剣を案出して一流をたて、巌流(がんりゅう)を称し、小倉(こくら)藩主細川忠興(ただおき)に仕えた。1612年(慶長17)関門海峡にある船島(俗に巌流島)で、3尺余の太刀(たち)を振るって宮本武蔵(むさし)(29歳)と勝負を争い、敗死したと伝えられている。なおこの一件の背景なども不分明で、疑問の多い人物ではある。[渡邉一郎]

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