精選版 日本国語大辞典 「佐々木小次郎」の意味・読み・例文・類語
ささき‐こじろう【佐々木小次郎】
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剣客。生没年不詳。小説や映画で宮本武蔵と決闘することで有名であるが,実像には不明な点が多い。流名が〈巌流(がんりゆう)〉であるところから,小次郎のことを巌流とも呼ぶ。越前国浄教寺(一説に周防(すおう)国岩田)の生れで,中条流の名人富田勢源(とだせいげん)の高弟というのが通説である。中条流は小太刀を使うので,勢源は1尺5寸の小太刀を使ったが,小次郎には3尺余りの大太刀を持たせて訓練した。そのため小次郎は〈物干ざお〉と異名をとる大太刀を使うようになったという。その後勢源のもとを退き,一流を立てて巌流と号し,諸国武者修行の旅に出た。豊前の小倉藩で剣術教授にあたっていたが,1612年(慶長17)4月,宮本武蔵と巌流島で闘い敗れたとされる。江戸時代の講談や芝居では,武蔵の敵役として老年剣客であったり,武蔵が父の敵として小次郎を討つ物語となっていたが,吉川英治の《宮本武蔵》や村上元三の《佐々木小次郎》以来,長剣〈物干ざお〉を背負い,〈燕返し〉の秘剣を使う,さっそうとした青年美剣士となっている。
執筆者:中林 信二
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近世初期の剣客。その伝は明らかではないが、越前(えちぜん)朝倉氏の本拠一乗谷(いちじょうだに)に近い浄教寺(じょうきょうじ)村の出身と伝え、幼少より剣を好み、中条(ちゅうじょう)流の富田勢源(とだせいげん)、あるいは勢源の弟子鐘捲自斎(かねまきじさい)の門に学んだという。のち諸国を歴遊し、いわゆる燕(つばめ)返しの秘剣を案出して一流をたて、巌流(がんりゅう)を称し、小倉(こくら)藩主細川忠興(ただおき)に仕えた。1612年(慶長17)関門海峡にある船島(俗に巌流島)で、3尺余の太刀(たち)を振るって宮本武蔵(むさし)(29歳)と勝負を争い、敗死したと伝えられている。なおこの一件の背景なども不分明で、疑問の多い人物ではある。
[渡邉一郎]
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