端谷城跡(読み)はしたにじようあと

日本歴史地名大系 「端谷城跡」の解説

端谷城跡
はしたにじようあと

[現在地名]西区櫨谷町寺谷 城山

櫨谷はせたに川が形成する谷の奥、標高一四〇メートル・比高四〇メートルの丘陵端にある城跡。最上部が主郭で背後に大きく堀切を入れて丘陵を隔絶している。城を構成する郭は南の尾根端まで連続するが、主郭に接続する第二郭の南側に堀切が入り以下の郭と区画されている。下の郭の中ほどは満福まんぷく寺境内となり、取付道路などが以下の郭を破壊している。永正一七年(一五二〇)一二月二六日夜、浦上村宗と対立していた守護赤松義村はのちの将軍足利義晴を伴い置塩おしお(現夢前町)を脱出し、「明石の沖にはし谷と申所に衣笠五郎左衛門館」で年を越している(赤松記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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