精選版 日本国語大辞典 「明石」の意味・読み・例文・類語
あかし【明石】
あかし【明石】
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播磨灘に臨む海岸部一帯をさす文芸地名で、古くから景勝地として知られる。「万葉集」巻三に収める柿本人麻呂の「天離る夷の長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ」をはじめとして、同書には明石の海(浦・大門・門・湖)を詠む歌が八首、明石の潟の詠歌が一首収められる。のち明石浦(能因歌枕・和歌初学抄)、明石瀬戸(和歌初学抄)・明石門(五代集・八雲御抄)・明石浜(同上)、明石潟(八雲御抄)などが歌枕となった。「古今集」に「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島がくれ行く舟をしぞ思ふ」(読人知らず)、「新古今集」に「あかしがた色なき人の袖をみよすずろに月もやどるものかは」(藤原秀能)など多数の詠歌がある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
経(たて)・緯(よこ)ともに絹糸を使った縮(ちぢみ)織の盛夏用着尺地。明石織、明石縮(ちぢみ)(絹縮)ともいう。織物組織は、経糸に生糸、緯糸に練った強撚(きょうねん)糸を使う片しぼの絹縮。中国から撚糸技法が伝来し、近世初頭から各地で縮織が生まれたが、この技法は寛文(かんぶん)年間(1661~1673)に播磨(はりま)国明石(兵庫県明石市)で織り始めたと伝えられ、地名が織物名となった。京都の西陣でも織られたが、その後明石の浪人堀次郎将俊(まさとし)が、技法を越後(えちご)に伝え、麻糸を素材とする麻縮(小千谷縮(おぢやちぢみ)、越後縮)を生み出した。1887年(明治20)ごろ新潟県十日町を中心に西陣の明石織を導入し、緯糸の強撚糸と仕上げ整理法を研究して絹縮生産に成功、十日町明石の名で知られた。十日町明石は絣(かすり)から縫取りや、両しぼのものまで改良を加え、1940年(昭和15)ごろまで織られ、その後市場から姿を消したが最近わずかながら復活している。
[角山幸洋]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
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