明石(読み)あかし

  • (通称)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

(1) 旧日本海軍が新造した唯一工作艦基準排水量 9000t。 1939年竣工,44年3月パラオで沈没
(2) 海上自衛隊の海洋観測艦。正式名『あかし』。基準排水量 1420t。水深潮流海水温度塩分などを観測,対潜水艦作戦の資料とする。

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大辞林 第三版の解説

◇兵庫県南部、明石海峡に面する市。住宅地・工業地として発達。東経135度の日本標準時子午線が通過する。近世、小笠原氏一〇万石、のち松平氏の城下町。海浜は須磨とともに風光明媚をもって知られ、古来「明石潟」「明石の浦」「明石の泊とまり」「明石の浜」「明石の湊みなと」などと歌に詠まれた。歌枕 ほのぼのと-の浦の朝霧に島がくれゆく舟をしぞ思ふ/古今 羇旅
[1] 「明石縮ちぢみ」の略。
源氏物語の巻名。第一三帖。明石入道のもとに身を寄せた光源氏は、入道の娘と結ばれるが、召還の宣旨せんじを受けて、帰洛する。
姓氏の一。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

(たて)・緯(よこ)ともに絹糸を使った縮(ちぢみ)織の盛夏用着尺地。明石織、明石縮(ちぢみ)(絹縮)ともいう。織物組織は、経糸に生糸、緯糸に練った強撚(きょうねん)糸を使う片しぼの絹縮。中国から撚糸技法が伝来し、近世初頭から各地で縮織が生まれたが、この技法は寛文(かんぶん)年間(1661~1673)に播磨(はりま)国明石(兵庫県明石市)で織り始めたと伝えられ、地名が織物名となった。京都の西陣でも織られたが、その後明石の浪人堀次郎将俊(まさとし)が、技法を越後(えちご)に伝え、麻糸を素材とする麻縮(小千谷縮(おぢやちぢみ)、越後縮)を生み出した。1887年(明治20)ごろ新潟県十日町を中心に西陣の明石織を導入し、緯糸の強撚糸と仕上げ整理法を研究して絹縮生産に成功、十日町明石の名で知られた。十日町明石は絣(かすり)から縫取りや、両しぼのものまで改良を加え、1940年(昭和15)ごろまで織られ、その後市場から姿を消したが最近わずかながら復活している。[角山幸洋]

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精選版 日本国語大辞典の解説

[1]
[一] 兵庫県南部、播磨海岸の東端の地名。古くから山陽、南海両道の宿駅、淡路島への港として知られる。天和二年(一六八二)以降は松平八万石の城下町。古来、かわら、清酒、明石縮、明石焼などの産がある。柿本人麻呂をまつる人丸神社境内に、東経一三五度の日本標準時子午線の通過標柱がある。大正八年(一九一九)市制。
[二] 「源氏物語」第一三帖の名。源氏二七歳の三月から二八歳の八月まで。都を追われた源氏は明石入道の邸に身を寄せ、入道の娘明石上と結ばれるが、朱雀帝の召還により単身都に戻る。
[三] 兵庫県南東部にあった郡。古くは赤石とも書いた。大正八年以降、明石市・神戸市に併合され、昭和二六年(一九五一)消滅。
[2] 〘名〙
※雑俳・柳多留‐八二(1825)「明石からほのぼのとすく緋縮緬
② 香木の名。分類は真南蛮。香味は酸鹹苦。六十一種名香の一つ。
[語誌](一)(一)が風光美、なかでも月の名所として歌や句に見えるようになるのは、「源氏物語」の、光源氏が明石君を尋ねる八月十三夜の月の描写による影響も考えられる。
姓氏の一つ。

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典の解説

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
明石左衛門 など
初演
貞享3.11(京・岩本座)

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