浦上村宗(読み)うらがみむらむね

日本大百科全書(ニッポニカ) 「浦上村宗」の意味・わかりやすい解説

浦上村宗
うらがみむらむね
(?―1531)

戦国初期の守護赤松氏領国の守護代浦上則宗(のりむね)の嗣子(しし)。将軍の継嗣問題に関する中央の政治抗争にかかわり、1520年(永正17)守護赤松義村(よしむら)に迫り家督を政村に譲らせ、ついで翌年義村を幽閉中の播磨(はりま)(兵庫県)室津(むろつ)に殺害し、播磨、備前(びぜん)(岡山県)、美作(みまさか)(岡山県)に支配権を確立する。また、将軍義稙(よしたね)を追い義晴(よしはる)を迎えようとした細川高国(たかくに)を助け、細川晴元(はるもと)、三好元長(みよしもとなが)らと戦ったが、享禄(きょうろく)4年摂津に戦死。その子宗景(むねかげ)は備前天神山(てんじんやま)城に拠(よ)り、その後なお勢力を保ったが、77年(天正5)家臣宇喜多直家(うきたなおいえ)に滅ぼされた。

[岸田裕之]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浦上村宗」の解説

浦上村宗 うらがみ-むらむね

?-1531 戦国時代武将
浦上則宗の孫。赤松氏の臣で,播磨(はりま)守護代。大永(たいえい)元年主君の赤松義村を殺害し,備前,播磨,美作(みまさか)を支配。細川高国をたすけて細川晴元,三好元長らとたたかい,享禄(きょうろく)4年6月4日摂津天王寺付近で討ち死にした。

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世界大百科事典(旧版)内の浦上村宗の言及

【浦上氏】より

…室町時代の播磨・備前の豪族。本姓は紀氏と伝え,播磨揖西郡浦上荘を本貫地とする。大徳寺開山宗峰妙超も浦上氏の出自。南北朝時代,赤松氏が播磨・備前・美作の守護として台頭すると,その被官となる。行景,宗隆,助景らが備前守護代を歴任し,本拠も備前東部の和気郡三石城に移った。嘉吉の乱で赤松氏が没落した後,浦上則宗が出て赤松政則を補佐し,赤松氏再興の中心的存在として応仁の乱に活躍,政則を播備作3国守護および侍所所司に復権せしめ,みずからも所司代となり在京して重責を果たした。…

【備前国】より

…1484年(文明16)から88年(長享2)にわたる山名政豊の播磨,備前への侵入は旧領奪回をねらったものであったが,失敗した。 政則の死後赤松氏が衰えると,代わって三石城を本拠とする浦上氏が台頭し,浦上村宗は主君赤松義村を幽閉暗殺して実権を握り,細川高国を擁して上洛し覇権を掌握しようとしたが,義村の子政村(のちの晴政)が三好元長に内応したことにより摂津大物(だいもつ)で敗死した。村宗の子宗景は本拠を三石城から天神山城に移したが,凡庸で家臣宇喜多直家に権力を奪われた。…

※「浦上村宗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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