日本歴史地名大系 「竹万庄」の解説 竹万庄ちくまのしよう 兵庫県:赤穂郡上郡町竹万庄千種(ちくさ)川中流域の現上郡町竹万から栗原(くりばら)を含む一帯に比定される庄園。竹間・竹馬とも記される。元亨三年(一三二三)七月四日の六波羅下知状写(八塔寺文書)に「播磨国竹間於庄」とみえ、八塔(はつとう)寺(現岡山県吉永町)領であった。建武四年(一三三七)には赤松円心が恩賞として得ていた高田(たかた)・竹馬の両庄を同年建立した法雲(ほううん)寺に寄進したとされている(雪村和尚行道記)。その後赤松(春日部流)氏がなんらかの権限をもっていたらしく、応永一六年(一四〇九)九月四日には赤松頼則(円心の次男貞範の息)の遺領の赤松(あかまつ)郷内屋敷、竹万庄ほかが息満則に安堵されている(「足利義持御判御教書」赤松春日部文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報