日本歴史地名大系 「赤穂郡」の解説
赤穂郡
あこうぐん
県の南西端に位置する。上郡町一町で一郡を構成する。古代から近世までの播磨国赤穂郡域は現相生市・赤穂市域を含み、北は佐用郡、東は
〔古代〕
「和名抄」東急本の読みは「阿加保」で、享保八年(一七二三)版の「延喜式」神名帳では「アカホ」である。千種川流域には有力な氏族の成長を示す規模の古墳は未検出であり、また奈良時代以前に関する文献史料が乏しいため、湯坐部・他田部・春日部の姓をもつ人名から郡内に名代・子代の存在を推定できるにすぎない。「播磨国風土記」は当郡条を欠く。天平一九年(七四七)二月一一日の大安寺伽藍縁起并流記資財帳(国立歴史民俗博物館蔵)に奈良大安寺の墾田として「赤穂郡十町」とみえる。同年九月二六日の勅旨(東大寺要録)に「播磨国赤穂郡五十戸」とみえ、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報