改訂新版 世界大百科事典 「竹野荘」の意味・わかりやすい解説
竹野荘 (たかののしょう)
筑後国竹野郡(現福岡県久留米市,旧田主丸町)にあった荘園。1026年(万寿3)本荘からの出作加納により宇佐八幡宮領守部荘が成立した。その後の開発により竹野新荘が成立したため,旧来の竹野荘は竹野本荘と呼ばれた。新荘は東郷,西郷,河北郷,山本郷の4郷から成り,鳥羽院領であったが,鎌倉末に伏見天皇によって西大寺四王院へ施入された。筑後の在国司草野氏が当荘最大の在地領主で,河北郷惣公文職,押領使職等を帯していたが,北条氏が惣地頭職を有していたため,北条氏滅亡後,建武政府はこれを西大寺に安堵し,さらに足利尊氏がこれを保障した。しかし,南北朝の動乱期には北朝方の宇都宮守綱,足利直冬方の詫磨宗直・六箇里通時・後藤光明などへの恩賞地給付に当てられ,西大寺では一時南朝を頼んで支配の回復を図ったが,十分成果をあげえなかった。室町期には守護大友氏の領国体制下に置かれ,大友持直によって竹野郡代職が設けられた。
執筆者:大城 美知信
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報