河北郷
かわきたごう
中世、御井郡北部を中心に置かれた奈良西大寺領の郷。筑後川の北岸にあたることに由来する郷名で、史料上は多く竹野庄のうちとしてみえる。郷内の地名により現北野町の東部、大刀洗町の南部などにわたる地域に比定される。建仁元年(一二〇一)鰺坂庄四〇〇町などに高良社(現久留米市)下宮の宝殿一宇の造営役が賦課されているが、うち二一六町が「河北郷」内となっており(高良宮造営田数注文)、郷域内に鰺坂庄が成立していた。ただしほかは三原郡内とあり、また上宮の御供屋の造営役を負担するなかに「河北郡内」、赤自・益富、国庁・惣社一宇の造営役を負担するなかに「河北荒瀬」(現久留米市)の五町が記されるので、この河北郷は河南郡と対応してみえる河北郡の可能性がある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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