笠倉屋平十郎(読み)かさくらや・へいじゅうろう

朝日日本歴史人物事典 「笠倉屋平十郎」の解説

笠倉屋平十郎

生年生没年不詳
江戸中期の浅草蔵前の札差。明和~寛政年間(1764~1801)ごろに活躍した。十八大通のひとりで俳号を有游と称した。「笠倉屋平十郎」は札差株仲間の世襲屋号・名前で,有游は株仲間起立より2代目ごろの人と思われるが,通称は不明。寛政1(1789)年の棄捐令では1万9756両余の債権を失っており,これだけで年3550両余の利子収入が期待でき,営業規模の大きい札差であったことがわかる。自店に入ってきた金貨に平の刻印を打ったので,世人はこれを平十郎小判と呼んで珍重した。豪華な別荘の池に朱塗りの橋をかけたのが,身分を越えた奢りとして処罰され,寛政8(1796)年札差株を親戚の笠倉屋平六に譲り廃業,その後の消息は不明である。

(北原進)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「笠倉屋平十郎」の解説

笠倉屋平十郎 かさくらや-へいじゅうろう

?-? 江戸時代中期-後期商人
江戸の札差。十八大通(だいつう)のひとり。所蔵の金貨に平の字を刻印し,これは平十郎小判とよばれ,世にもてはやされた。寛政元年(1789)の棄捐(きえん)令で債権を放棄,以後経営は悪化したらしく,8年札差株を他にゆずり,名題(なだい)はたえた。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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